古代中国の年表
前11世紀頃=前8世紀頃
西周 今ココ
皇帝の血縁者に地方を統治させる封建制を採用。鎬京に都をおいたが、異民族の侵入を受けて東の洛邑に遷都
西周と東周
中国最古の王朝である殷を滅ぼした「周」が今回のテーマです。周は、前半の「西周」時代と後半の「東周」時代の2つに分けられます。
前半の西周は渭水(いすい・黄河の支流の1つ)流域におこり、鎬京という場所に都をおきました。

封建制~地方の統治はお任せ~
西周では、「封建制」という支配体制をとりました。
封建制..?まったく意味が分からないです。
王様が自分の一族に領土を分配して、その地の統治を任せることです。各地の統治を任された人たちのことを、「諸侯」といいます。
ヨーロッパでも封建制は登場しますが、西周の封建制は血縁者を諸侯にした点が特徴です。
ヨーロッパでも封建制は登場しますが、西周の封建制は血縁者を諸侯にした点が特徴です。
国家の一族経営ですね。
宗法を守りましょう
西周における封建制を支えた血縁集団を「宗族」といいます。この「宗族」をまとめるために定められたルールを「宗法」といいます。
異民族の侵入、王の逃亡
中国史における理想的な時代とも称された西周ですが、前8世紀頃、西から侵入した異民族によって鎬京が陥落してしまいます。
西周は滅亡してしまったんですか?
「西周」という名前ではなくなりますが、周王朝が滅亡したわけではありません。西周の王は鎬京を捨てて東の洛邑に都を移しました。これを境に周は「東周」の時代に入ります。あくまで都を移しただけであって、王家は変わっていないことに注意です。
東に逃げる前が「西周」、逃げた後が「東周」ということですね。

確認テスト
答え.渭水
答え.鎬京
答え.封建制
答え.宗法
答え.洛邑
古代中国