ウィーン体制とは?わかりやすく解説

ウィーン体制 ざっくり要点
  • 19世紀前半のヨーロッパの国際体制のこと。
  • 保守的な体制で、ヨーロッパの革命運動を抑えつけた。

ウィーン体制とは

ウィーン体制(1814~1848)とは、19世紀前半のヨーロッパの国際体制の名称です。
フランス革命とナポレオン戦争で混乱したヨーロッパを、以前の状態に復活させることが狙いでしたが、1848年に崩壊しました。

予備知識・前提

用語 意味・内容
フランス革命 絶対王政に反発した民衆による革命運動のこと
ナポレオン フランス革命後に登場したフランスの英雄。ヨーロッパの覇権を握る。

ウィーン会議

19世紀初頭にヨーロッパを支配したナポレオン。最後はヨーロッパ連合軍の前に敗北し、失脚に追い込まれました。

ナポレオン

吾輩の辞書にも不可能の文字はある…
邪魔者ナポレオンを追い出したヨーロッパ各国の首脳陣ですが、これで一件落着とはいきません。ナポレオンに荒らされ混乱状態のヨーロッパを、今後どうしていくのか決める必要があります。
こうした背景で、1814年にヨーロッパ諸国の代表が集うウィーン会議が開催されました。主催者はオーストリア外相のメッテルニヒです。

メッテルニヒ

ヨーロッパに秩序と平和をもたらすために、皆の意見を聞かせてください。
ウィーン会議が開催されたシェーンブルン宮殿

停滞する会議

ウィーン会議は、各国の利害が対立して中々前に進みませんでした。このことは『会議は踊る、されど進まず』と皮肉られました。
ウィーン会議の風刺画

実際に夜は宮殿で舞踏会が開かれ、各国の代表はダンスを楽しんでいました。
中々進まないウィーン会議ですが、最終的には「ナポレオン、さらにはフランス革命以前のヨーロッパに戻しましょう」という着地になりました。フランス革命の前ということは、絶対的な王が国を統治する絶対王政です。フランス外務大臣のタレーランが主張したこの考え方を正統主義といいます。ウィーン体制は、この正統主義を原則にした国際体制なのです。

ちなみに先ほどの風刺画の一番左に、呆れたような表情で立っている人がいますね。この人がタレーランです。

自由主義とナショナリズムの抑圧

ウィーン体制には、当時ヨーロッパの民衆の間に盛り上がっていた「自由主義」と「ナショナリズム」を抑えつける狙いもありました。

自由主義

「国民が何にも縛られることなく、経済活動や政治活動の自由を手に入れよう!」という運動です。絶対王政とは真逆のような考え方ですね。


ナショナリズム

「国民・民族のまとまりを重視して、その独立や発展を目指そう」という思想です。国旗や国歌が分かりやすい例で、愛国心・自国への帰属意識をもたらす感じがしますよね。

四国同盟・神聖同盟

もしヨーロッパで革命運動が起こったらすぐ潰せるように、ウィーン体制の国同士で神聖同盟四国同盟が結ばれました。
1818年のウィーン体制発足後、ウィーン体制 vs 自由主義・ナショナリズムのせめぎ合いが、ヨーロッパ各地で繰り広げられることになります。

ウィーン体制の崩壊

発足以降、自由主義・ナショナリズム運動と対立してきたウィーン体制は、最後は1848年革命によって崩壊しました。1848年革命とは、1848年にヨーロッパで起きた一連の革命の総称です。ウィーン体制の中心人物であったメッテルニヒはウィーンを追われ、ロンドンに亡命することとなりました。

メッテルニヒ

自由主義とナショナリズムには勝てなかった…

ウィーン体制 まとめ

まとめ
  • ウィーン体制とは、19世紀前半のヨーロッパでとられた、保守的国際体制の名称である。
  • フランス革命以前の国際秩序を復活させる正統主義が採用された。
  • ヨーロッパ各国が同盟を結び自由主義とナショナリズム運動を抑圧した。
  • 1848年革命により崩壊した。