第1回三頭政治をわかりやすく解説【古代ローマ】

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第1回三頭政治

前60年~前49年の共和政ローマ末期に成立した、カエサル、ポンペイウス、クラッススの3人による政治同盟。クラッススの戦死後はポンペイウスとカエサルが対立し、カエサルが勝利して終身独裁官になった。しかしカエサルもブルートゥスら元老院によって暗殺された。

当時のローマ情勢

当時のローマは「内乱の一世紀」の最中でした。貧富格差は拡大し、政治家たちは平民派と閥族派に分かれて争っています。ローマの人々は、激しい混乱を収束できる強いリーダーシップを求めていました。そして三頭政治という3人の有力者による寡頭政治(少人数で国を治めること)が成立しました。

三頭政治の期間を経て、ローマは共和政から帝政に移行しました。

【ポンペイウス】スパルタクスの反乱を鎮める

最初に、第一回三頭政治を構成したメンバーを簡単に紹介します。
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ポンペイウス

共和政ローマ期の軍人。スパルタクスの反乱をクラッススと共に鎮めたことで名声を得て、執政官に就任する。しかしその並外れた功績から、「未来の独裁者候補」として元老院から警戒されていた。

【クラッスス】ローマ最大の大富豪

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クラッスス

共和政ローマ期の軍人。閥族派のスラ配下将軍として活躍し、大土地経営や銀山を保有して、ローマ一の大富豪に登りつめた。ポンペイウスと共にスパルタクスの反乱を鎮め、執政官に就任した。

スパルタクスの反乱を鎮めた手柄をポンペイウスが独占しようとしたので、クラッススとポンペイウスは犬猿の仲でした。

【カエサル】平民のヒーロー

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カエサル

共和政ローマの軍人。平民派マリウスの後継者でもあり、民衆からの支持は絶大だった。ポンペイウスとクラッススを仲裁して三頭政治を結成し、当時強大な政治力を持っていた元老院に対抗した。

ガリア遠征

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ガリア遠征

紀元前58年~51年にかけてカエサルがガリア(現在のフランスにあたる地域)に遠征してその全域を征服し、ローマの属州とした戦争。この戦争によってカエサルはローマ市民から絶大な支持を集めた。

ガリア遠征の影響

カエサルがガリア遠征で大成功したことは、ローマの元老院派にとって脅威でした。なんとか共和政を維持したい元老院にとって、カエサルのように独裁者の資質を持った人間は叩いておきたいのです。そこで元老院派はポンペイウスと結託してカエサル軍との内戦を行いますが、カエサル軍が勝利しました。

カエサル軍は8年間のガリア遠征で鍛えられ、統率がとれていました。

カエサルが終身独裁官に

三頭政治が内部分裂してしまったんですね。そういえばクラッススはどうなったんですか?

クラッススはカエサルのガリア遠征に対抗して小アジアのパルティアに遠征を仕掛けましたが、失敗し殺害されました。
ポンペイウス・元老院との内戦に勝利したカエサルは「終身独裁官」に選出されました。通常、「独裁官」の任期は半年間です。それにもかかわらずカエサルは終身の独裁官になりました。これはカエサルが事実上ローマの君主となり、共和政が崩壊したことを意味します。

カエサル暗殺

終身独裁官に就任したカエサルはローマ社会安定に努めました。民衆からの人気も抜群です。元老院の権威も低下させ、ますますカエサルは王様のような働きを見せていきます。
しかし、共和政に執着する元老院はカエサルの活躍が不愉快でたまりません。前44年、元老院のブルートゥスらによってカエサルは暗殺されてしまい、ローマはまた混乱に陥りました。