三国時代(魏・呉・蜀)~晋王朝をわかりやすく解説

ここまでの流れ

光武帝によって建国された後漢王朝は東西交易で栄え、約200年間存続しました。しかし後漢の末期には宦官が党錮の禁という事件を起こし、人々の不安は高まっていきました。その結果、黄巾の乱を皮切りに全国各地で軍事集団が割拠する混乱の時代に入りました。

三国志

後漢末期、全国各地の群雄の中から頭角を現したのが、を建国した曹丕(そうひ)、を建国した劉備(りゅうび)、を建国したした孫権です。
歴史ファンにはたまらない三国志の時代ですね!僕もなんとなく知ってます。

我々が一般にイメージする三国志は、後世の脚色が入った『三国志演義』という小説がベースになっています。

魏の強さは曹操にある

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こちらが3世紀前半の中国の大まかな勢力図になります。三つ巴の様相ですが、魏の力が圧倒的でした。
どうして魏は強かったんですか?

曹丕が魏を建国する以前の、曹操(そうそう)という人物の功績が大きいです。曹操は華北(中国北部のこと)を支配する有力者でした。曹操は屯田制という土地制度を実施し、魏が強国へとのし上がる基盤を固めました
POINT
曹操が基盤を築いた後、曹丕が魏を建国しました。この二人を混同しないように気を付けましょう。

九品中正

魏の初代皇帝となった曹丕は、九品中正という官吏登用制度を実施しました。
漢の時代は郷挙里選でしたよね。

九品中正は、地方に派遣された中正官が現地の人材を9つのランクに分け、それぞれに見合った役職を与えるというシステムです。
郷挙里選は地方の有力者を政府に推薦する制度なので、豪族勢力の台頭を許してしまいました。そこで曹丕は九品中正によって人柄や能力を見極めようと試みました。
郷挙里選を反面教師にしたんですね。

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三国時代を制覇したのは…?

国力で他の2国を圧倒していた魏は、まず蜀を滅ぼしました。
三国時代の終わりですね。そのまま魏が勢いに乗って、呉も滅ぼしてしまったんですか?

そうなるかと思いきや、その前に魏に重要な出来事が起こります。

司馬炎の登場

蜀を滅ぼした魏に、司馬炎(しばえん)という将軍が登場しました。司馬炎の祖父にあたる司馬懿(しばい)は、魏に対してクーデターを仕掛け、魏を乗っ取っていました。そして孫の司馬炎の時代に、魏の皇帝は司馬炎に皇帝の座を譲ったのです。
じゃあ魏はここで終わりですか?

そうなりますね。265年に司馬炎は魏に代わって西晋という王朝を建て、皇帝に即位しました。
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司馬炎の燃え尽き症候群

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魏が蜀を滅ぼした後、魏を奪った司馬炎によって西晋が建国されました。そして西晋は三国の生き残りのも滅ぼし、中国を統一しました。
漢以来の中国統一ですね。

しかし西晋を建国した司馬炎は、中国統一を達成した途端に酒と女性に溺れてしまいました。
一国の王がなんてことを…

そんな堕落した政府、安定するわけがありませんよね。結局司馬炎の死後には皇族による主導権争いが始まります

八王の乱

3世紀末に司馬炎が亡くなると、皇族同士が帝位を争うようになりました。これを八王の乱と言います。
当然の流れですね。酒飲んでばっかりの王様にはついていけないですよ。

異民族の手助け

八王の乱では、皇族たちは争いに勝つために中国北方の異民族の力を借りました
内輪揉めの戦いに異民族を巻き込むのは、なんだかややこしくなりそう…

結局、311年に異民族の1つである匈奴に西晋は滅ぼされてしまいました。これを機に、華北(中国北部)は五胡(ごこ)と呼ばれる5つの異民族によって支配されました。五胡は次々と国を建て、五胡十六国時代(304~439年)が始まりました。
中国の南部はどうなったんですか?

滅亡した西晋一族の司馬睿(しばえい)が中国南部の建康(現在の南京)に逃げて、東晋(317~420年を建国しました。晋王朝の復活です。