テオドシウス帝/ローマ帝国東西分裂をわかりやすく解説【古代ローマ】

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テオドシウス帝
4世紀末のローマ皇帝。キリスト教を国教とし、他の宗教の信仰を禁止した。テオドシウス帝の死後、395年にローマ帝国は東西に分裂した。

ここまでの流れ

コンスタンティヌス帝によって統一された帝国は、再び東西に分割した統治が行われるようになっていました。また、キリスト教は宗派同士の対立はあれども皇帝の保護を受け爆発的に信者の数を増やしてきていました。

キリスト教の国教化

テオドシウス帝の功績といえば、キリスト教を国教に定めたことです。ほんの100年前、ディオクレティアヌス帝の時代には迫害を受けていたキリスト教の大出世です。313年にコンスタンティヌス帝ミラノ勅令によってキリスト教の信仰を公認し、キリスト教拡大の流れを後押しするようにテオドシウス帝が国教に定めました。

テオドシウス帝

みんなキリスト教を信仰しなさい。他の宗教は禁止!
キリスト教拡大の流れ
~3世紀末
迫害の時代
ディオクレティアヌス帝らによって迫害を受ける。
313年
公認
コンスタンティヌス帝のミラノ勅令によって公認される 。
392年
国教化
テオドシウス帝によって国教となる。

ローマ帝国の東西分裂

当時のローマ帝国は軍事費が膨れ上がり、財政は破綻状態でした。

国の面積が大きいということは、その分長い国境線を守る必要があるので、軍事費がかさみます。
さらにゲルマン人という異民族が大移動を行い、帝国内に流入し始めました。いよいよローマ帝国も末期です。
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テオドシウス帝は帝国を東西に分割して自分の息子2人に分け与えましたが、テオドシウス帝死後の395年、ローマ帝国は東西に分裂しました

西ローマ帝国はすぐに滅亡した。

分裂後、コンスタンティノープルを首都に置く東ローマ帝国(別名:ビザンツ帝国)は1453年まで続きました。一方、ローマを首都に置く西ローマ帝国はゲルマン人のオドアケルという人物によって476年に滅ぼされてしまいました。

西ローマ帝国は東西分裂から100年も持ちませんでした。