「太陽の沈まぬ国」スペイン全盛期をわかりやすく解説

「太陽の沈まぬ国」の意味

16世紀の全盛期スペインは「太陽の沈まぬ国」として称されました。一体どういう意味でしょうか?当時のスペインの領土を見てみると、答えが分かります。
スペイン全盛期領土

スペイン全盛期の領土

フィリピンや南米などにもスペインの領土がありますよね。これらは当時のスペインの植民地です。「太陽の沈まぬ国」という言葉は、「地球上のスペイン領のどこかには、常に必ず太陽が当たっている」という意味です。例えばスペイン本土が夜のとき、フィリピンは昼です。

なぜスペインはこれほどまでの大帝国に成長したのでしょうか。以下、「太陽の沈まぬ国」の完成に至るまでの流れを解説します。

スペインの成長

スペイン世界帝国までの道のり
  1. 大航海時代に海外進出し、南米やフィリピンを植民地化する。
  2. 国王がポルトガル王も兼任し、ポルトガルが持っていた植民地もスペインのものになる。
  3. 「太陽の沈まぬ国」の完成

順を追って解説します。

大航海時代

銀の流入

植民地から銀が流入

スペインは、大航海時代に急成長した国です。16世紀前半、南米に派遣されたスペイン人のコルテスはアステカ帝国を、ピサロはインカ帝国を滅ぼして現地を植民地化しました。そして植民地から流入する莫大な銀によって、スペインは繁栄しました。

世界遺産
マチュピチュ

マチュ・ピチュの歴史保護区

インカ帝国の都市遺跡。標高2400メートルの山中に位置しており、「空中都市」の異名を持つ。15世紀中頃に建設されたとされているが、何の目的で建設されたかは分かっていない。

カルロス1世

大航海時代、スペインの国王を務めたのがカルロス1世(在位1516~56)です。彼はスペイン王でありながら、神聖ローマ帝国(ドイツと考えてください)の皇帝でもありました。カルロス1世が生まれたハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝を多く輩出していた名家中の名家です。生まれ持っての血筋の良さで、2つの国の国王に登りつめました。

MEMO
神聖ローマ皇帝としては、カール5世を名乗りました。名前は違いますが、スペイン王カルロス1世と神聖ローマ皇帝カール5世は同一人物です。

フェリペ2世

カルロス1世の次にスぺイン王に即位したのがフェリペ2世(在位1556~98)です。彼の時代にスペインは全盛期を迎えました。

当時スペインが植民地化した「フィリピン」の語源にもなった人物です。

オスマン帝国を撃破

フェリペ2世の時代、スペインはレパントの海戦オスマン帝国を破りました。当時ヨーロッパ諸国にとってオスマン帝国は驚異的な存在でしたが、その恐怖を一時和らげることができました。

ポルトガルを併合

またフェリペ2世は、隣国のポルトガル王女と結婚したことで、ポルトガル王も兼任しました。こうして、ポルトガルが持つ植民地もスペインの支配下に置き、「太陽の沈まぬ国」が完成しました。

世界遺産
エル・エスコリアル宮殿

マドリードのエル・エスコリアル修道院

フェリペ2世が晩年を過ごした宮殿。スペインがあまりに広大な領土であるため、フェリペ2世は実務に追われ、ほぼ宮殿に籠りきりであった。
外観の装飾は極力排除されているが、内装は豪華に飾られている。

覇権交代

「太陽の沈まぬ国」の栄光もつかの間、スペインは衰退していきます。その原因がネーデルラントによる独立戦争です。

戦争の発端

フェリペ2世は熱心なカトリック教徒(キリスト教の主流宗派)でした。彼はスペインの植民地であるネーデルラント(現在のオランダやベルギーがある地域)にもカトリックを強制しました。
しかしネーデルラントは、カルヴァン派プロテスタント(宗教改革で生まれたキリスト教宗派)の信者が多い地域です。弾圧を受けた民衆はフェリペ2世に反発し、戦争が始まりました。

戦争の経緯

この独立戦争はオラニエ公ウィレムという人物が主導しました。
ネーデルラントの中でも南部はまだカトリックの勢力が強く、途中で戦争から離脱しました。一方で北部の7州はユトレヒト同盟を結び、独立戦争を継続しました。

オランダ独立

開戦から20年以上経った1581年に休戦となり、ネーデルラントの北部7州がネーデルラント連邦共和国(オランダ)として独立しました。オラニエ公ウィレムは、「オランダ建国の祖」として今も称えられています。
一方で、毛織物工業による商工業が盛んなネーデルラントを失ったスペインはここから衰退し、オランダやイギリスに覇権交代を許してしまいます。

オランダ独立戦争の結果

スペインとネーデルラントの動向