パルティア~ササン朝をわかりやすく解説【イラン】

パルティア
前3世紀にイラン高原に建国された王朝です。アルサケスが建国しました。3世紀にササン朝ペルシアに滅ぼされました。
ササン朝ペルシア
パルティアを倒してイラン高原を支配した王朝です。建国者のアルダシール1世はゾロアスター教を国教にしました。6世紀のホスロー1世の時代に全盛期を迎えますが、7世紀にイスラーム勢力に敗れ滅亡しました。

ここまでの流れ

オリエント世界を統一した大帝国アケメネス朝ペルシアは、前3世紀にアレクサンドロス大王によって滅ぼされました。しかしアレクサンドロス大王の死後、後継者争いによって帝国は3つに分裂し、アジアの領土はすべて「セレウコス朝シリア」という王朝に受け継がれました。そのセレウコス朝シリアもまた、領土が広すぎるがゆえの内部分裂によって衰退していきました。

イランは東西交易の中継地点

イラン高原とその周辺地域が今回の舞台です。セレウコス朝シリアが衰退する中、バクトリアやパルティアといった王朝がイランの地に出来ていきます。
ところでイランってどこにあるんですか?

確かに、イランと聞いてすぐ場所をイメージできる人は少ないかもしれませんね。地図で確認しましょう。
地図
なんだか中途半端な位置にありますね..アジアとヨーロッパの間みたいな..

いいところに気がつきました!イランのずっと東には中国が、西にはメソポタミアエジプトがあります。これらの地域が貿易をするにあたって、イランはその東西交易の中継地として重要な役割を果たしたのです。

パルティア

セレウコス朝シリアの内部から独立を果たした国がパルティアです。前3世紀の中ごろに、アルサケスという人が建国しました。

都クテシフォン

遺跡
パルティアは首都をクテシフォンに置きました。パルティアの後に登場するササン朝でもクテシフォンは首都として受け継がれました。

争いに巻き込まれ…

イランという地域は東西交易の中継地でしたね。しかし立地が良いあまりに、パルティアは周りの国から目をつけられてしまいました。すぐ東にはクシャーナ朝時代のインドが、西には巨大なローマ帝国がいます。これらの国と争っているうちにパルティアは疲れてしまい、ササン朝ペルシアという国に滅ぼされてしまいました。

建国者アルダシール1世

パルティアに代わって、3世紀にイランを支配したのがササン朝です。アルダシール1世という人が建国しました。

ゾロアスター教の国教化

アルダシール1世は国を治めるうえで何か工夫したんですか?

アルダシール1世は、ゾロアスター教をササン朝ペルシアの国教にしました
それがなぜ国をまとめることになるのですか?

パルティアもササン朝も、東西交易によって他の国から色んな人が訪れるので、国としての団結が強まりませんでした。そこで、同じ宗教を国民に信仰させることで仲間意識をもたせようとしたのです。

シャープール1世 vs ローマ帝国

3世紀なかばにササン朝の第2代皇帝を務めたのがシャープール1世です。アルダシール1世の子にあたります。当時、西方でササン朝の拡大を恐れる国がありました。どこだと思いますか?
ローマ帝国じゃないですか?ササン朝の一つ前のパルティアとも争ってましたよね。

正解です。ちなみにこのときのローマ帝国は「軍人皇帝時代」といわれる時代で、全盛期ほどの国力はありませんでした。
シャープール1世率いるササン朝はローマ帝国とシリアで激突し、見事にローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜にしました。
ローマ帝国の屈辱
岩
この写真は、シャープール1世に命乞いをするウァレリアヌス帝の様子を掘った絵です。ローマ皇帝が敵国に捕らえられるという大失態は、「3世紀の危機」とも称されるローマ帝国の低迷ぶりを物語っています。

ホスロー1世で全盛期

ササン朝が全盛期を迎えたのが、ホスロー1世の時代です。シャープール1世から時代は少し飛んで、6世紀なかばのことです。

突厥と組んでエフタルを滅ぼす

5世紀後半から、ササン朝は中央アジアの遊牧民エフタルから侵入を受けていました。ホスロー1世はトルコ系遊牧民の突厥(とっけつ)と手を組み、エフタルを滅ぼすことに成功しました。
トルコ系ということは、小アジアのあたりの民族ですか?

そう思いきや、突厥はモンゴル高原で活動していた遊牧民です。トルコのルーツは実はモンゴルにあったのです。
地図

ビザンツ帝国とも善戦

ホスロー1世の時代になっても、ササン朝は相変わらずローマ帝国と争ってたんじゃないですか?

惜しい!半分正解といったところです。ホスロー1世は6世紀の人物なので、その頃にはとっくにローマ帝国は東西に分裂してしまっています
しかし分裂後の東ローマ帝国、すなわちビザンツ帝国がササン朝と争っていました。ササン朝はビザンツ帝国とも善戦し、ササン朝に有利な和平条約を結びました。

突然現れた強敵

順風満帆に見えたササン朝も、ホスロー1世の死後は衰退していきました。そして7世紀なかば、アラビア半島の新参者であるイスラーム勢力によってササン朝は滅ぼされてしまいました。

ササン朝の文化

アヴェスターを編纂

ササン朝の初代国王のアルダシール1世はゾロアスター教を国教にしました。その理由は覚えていますか?
たしか、同じ宗教を信仰することで国としてのまとまりを生もうとしたんですよね。

そのとおりです。しかし国教に指定したとはいえ、地域によって教えが違ったりしていました。それを統一するために、「アヴェスター」というゾロアスター教の教典を作りました。

マニ教

3世紀には、マニという人物がマニ教という新しい宗教を始めました。マニ教は、ゾロアスター教に仏教キリスト教を融合させた宗教です。
でもササン朝はゾロアスター教が国教ですよね。新しく宗教なんか作って大丈夫なんですか?

大丈夫じゃないです。ササン朝ではマニ教は迫害されてしまいました
しかしイランという地域は東西交易で繁栄した地域でしたよね。交易があるということは、それだけ異国文化との交流も盛んだということです。国内で居場所をなくしたマニ教は交易路に乗って国外に広まり、唐の時代の中国にまで伝わりました