ローマ共和政をわかりやすく解説【古代ローマ①】

フォロ・ロマーノ

古代ローマについて勉強していきましょう。古代ローマは、大きく分けると「共和政」と「帝政」の時代に分けられます。
  • 共和政:国民の選挙で選ばれた代表者によって統治される政治体制
  • 帝政:帝王が統治する政治体制

共和政ローマ

紀元前509年に王政を倒してから、紀元前27年の帝政開始までの期間の古代ローマのこと。初期は貴族に独占されていた政治が、徐々に平民に開かれていった。

ローマは最初は王政だった

古代ローマは共和政と帝政の時代があったと述べましたが、共和政の前にまず王政の時代がありました。王様が統治する政治体制です。

ローマ建国

まずはローマ建国について見ていきましょう。前8世紀ごろ、イタリア半島のティベル側のほとりにラテン人(古代イタリア人の一派)がローマを建国しました。
しかし北イタリアのエトルリア人の侵入を受け、一時ローマは彼らに支配されてしまいます。エトルリア人による支配の間は、ローマは王政をとっていました。

ローマの位置

ローマの位置

エトルリア人を追放

紀元前509年、エトルリア人の王をローマの貴族たちが追い出しました。これがローマ共和政の始まりです。ローマは、最初は小さな都市国家に過ぎませんでした。王がいないといっても、その実態は貴族たちが政治の実権を握る貴族政治です。平民たちは政治に参加することができませんでした。

世界遺産
フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノ

ローマ建国の地。共和政時代のローマの中心地になった場所。莫大な維持費のため、西ローマ帝国の滅亡後には廃墟となった。

貴族政治

ローマ共和政の、具体的な政治体制を見ていきましょう。

パトリキとプレブス

ローマ市民は、大きくパトリキ(貴族)とプレブス(平民)に分けることができます。

  • パトリキ(貴族):古代ローマの貴族階級。共和政ローマ初期・中期ではパトリキのみで元老院が構成された。
  • プレブス(平民):中小農民や商工業者などの一般ローマ市民。重装歩兵として戦争で活躍するうち、政治的発言力を強めていった。
POINT
パトリキとプレブスの対立構造が、ローマ共和政を見るうえで軸になります。

元老院は貴族が独占

当時のローマの最高機関を「元老院」といいます。現在の日本でいう国会をイメージしてください。
元老院は貴族階級の市民のみで構成されていました。平民は参加できなかったのです。

人

元老院の様子

コンスルはローマのトップ

そして元老院を仕切る役職をコンスル(執政官)といいます。共和政ローマにおける最高職です。コンスルの任期は1年で、同時に2人の人物が選出されました。

緊急時にはディクタトルが出動

国家の緊急時に指名される独裁的なコンスルをディクタトル(独裁官)といいます。任期は半年で、その期間は1人のディクタトルに全ての権限が集中しました。

「元老院でじっくり話し合って決めてる場合じゃない!」そんな緊急時に1名のディクタトルがコンスルから選出され、事態に対処しました。

市民全員参加の民会

ここまでのコンスルやディクタトルは、すべて貴族のお話です。平民からすれば関係ありません。
そんな平民も参加できたのが、民会です。民会とは、貴族と平民(つまり全市民)が参加することができる立法機関です。
MEMO
ただし、民会で議決された法律は元老院が認可しないと国法とは認められませんでした。

身分闘争の始まり

貴族が独占してきた政治体制が、少しずつ変わり始めます。

平民の主張

外国と戦争したとき、平民は重装歩兵として国のために戦いました。平民は「国のために戦ってるんだから、俺たちも政治に参加させてくれ。」と主張しました。
貴族からすれば、平民は貴重な戦力です。彼らの主張を簡単に突っぱねる訳にもいきません。そして貴族は平民に譲歩する形で平民会護民官の設置を認めました。

  • 平民会:平民だけで構成される、貴族禁制の議会。
  • 護民官:平民会の議長を務める役職。元老院の議決に拒否権を発動できた

ローマ法の整備

共和政ローマにおいて、法は貴族が独占していました。貴族が自分たちに都合の良いように法を解釈できるということです。それに対して、平民はもちろん不満の声を上げました。

十二表法で慣習法を成文化

十二表法:紀元前450年頃、初めて慣習法が成文化された法律。ローマ法の原点となる。
もともとローマには明確な法律がなく、なんとなく皆が守る慣習法に従っていました。しかしそんなあいまいなルールは貴族たちが良いように独占します。それを改めるため、十二表法で法律が明文化されました。法の内容は、債務、財産、結婚、犯罪などに多岐に渡りました。

リキニウス=セクスティウス法で平民でもコンスルに

リキニウス=セクスティウス法:コンスル2名のうち1名は平民から選出することを定めた法律。
もともと、コンスルは貴族から選出されていましたよね。しかしリキニウス=セクスティウス法によって、平民にもそのチャンスが開かれたのです。この法に則って、実際に平民から執政官を経て独裁官にまでなった人物がホルテンシウスです。

ホルテンシウス法で平民会の地位向上

ホルテンシウス法:平民会の決議が元老院の承認を得ずとも国法となることを定めた法律。
上述のホルテンシウスが作った法律です。ホルテンシウス法によって平民と貴族の立場はほぼ平等となりました

ローマ共和政 まとめ

まとめ
  • 前509年にエトルリア人の王を追放し、ローマ共和政が始まった。
  • 共和政ローマの最高機関を元老院といい、コンスル(執政官)がその最高位の公職であった。
  • 平民の身分闘争によって貴族と平民の立場は同等になっていき、平民会護民官が設置された。

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