アケメネス朝ペルシアとは?分かりやすく解説【古代オリエント】

遺跡

アケメネス朝ペルシア

前550年~前330年に存在した、ペルシア人(イラン人)が建国した帝国。4王国に分立していたオリエントを統一し、全盛期のダレイオス1世の時代にはエーゲ海沿岸からインダス川まで領土を広げた。アレクサンドロス大王によって前330年に滅ぼされた。
地図

年表
前550年
建国
キュロス2世がメディアを滅ぼし、アケメネス朝を建国する。
前525年
オリエント統一
カンビュセス2世がエジプトを併合しオリエントを統一する。
前500年~前449年
ペルシア戦争
ダレイオス1世がギリシアとの間でペルシア戦争を起こすが、ギリシア征服には失敗
前330年
滅亡
ダレイオス3世が暗殺され、アケメネス朝は滅亡。

キュロス2世

キュロス2世:前550年、メディアを倒してアケメネス朝を建国した。対外戦争を積極的に行い、リディア新バビロニアも征服して領土を広げた。

メディアを倒して建国

もともと、ペルシア王国はメディア王国に従属する小王国の一つに過ぎませんでした。
ペルシア王だったキュロス2世は反乱を起こし、前550年にメディアを滅ぼしました。これをもって、アケメネス朝の開始とされます。

現代のイラン人は、キュロス2世をイランの建国者として称えています。

リディア征服

続いてキュロス2世は「不死隊」と呼ばれた軍団を率いて、小アジアのリディアを征服しました。

不死隊ってなんですか?

アケメネス朝ペルシアの精鋭部隊のことです。1人の兵士が倒れてもまた別の兵士が加わったことが名前の由来です。

新バビロニア征服

さらにキュロス2世はメソポタミアに進出して新バビロニア王国を征服しました。征服戦争を積極的に行ったキュロス2世ですが、征服した民族には寛大でした。

ユダヤ人の解放
キュロス2世は、新バビロニアによってバビロン捕囚にあっていたユダヤ人を解放しました。このことから、旧約聖書ではキュロス2世は解放者と呼ばれています。

カンビュセス2世

カンビュセス2世:前525年に末期王朝のエジプトを統一し、全オリエントを統一した。

キュロス2世が征服しきれなかったエジプトを、後を継いだカンビュセス2世が征服しました。

ダレイオス1世

ダレイオス1世:アケメネス朝全盛期の王。新たな都としてペルセポリスを建設した。前500年にギリシアとペルシア戦争を開始した。

ペルセポリス

遺跡
ペルセポリス:ダレイオス1世が建設したアケメネス朝ペルシア帝国の都。都と言っても宮殿群で、ペルセポリスはあくまで儀式用の都市だったと考えられています。前331年にアレクサンドロス大王によって破壊され、廃墟となりました。

アケメネス朝は寛容

アッシリア帝国は武力で支配下の民族を押さえたおかげで短命に終わりました。それに対して、アケメネス朝は支配下の民族に対して寛容な政策を取りました。

異民族からすれば、アケメネス朝の支配下に入るのは苦ではなかったのです。

サトラップと王の目・王の耳

ダレイオス1世は広大な領土を統治するために、領土を36の州に分けました。そして各州ごとにサトラップ(知事のようなもの)を配置しました。さらに年に一度、「王の目」「王の耳」という監察官を地方に派遣し、彼らにサトラップを監視させました。

王の道を整備

帝国の統治のためには。広大な領土の隅から隅まで迅速に情報を伝達することが必要です。
そこでダレイオス1世は「王の道」と呼ばれる道路網を整備しました。中でも小アジアのサルディス市から都のスサまでの道は2400kmに及びました。

通常90日かかる行程が、道路整備のおかげで7日で移動することができたそうです。