ここまでの流れ
オクタウィアヌスがアクティウムの海戦でアントニウス・クレオパトラ連合軍に勝利し、「内乱の一世紀」が収束しました。
それと同時にローマ共和政も終了し、ローマはここから帝政へと移行します。初代皇帝はもちろんオクタウィアヌスです。
元首政
元首政(プリンキパトゥス)
ローマ帝政初期の政治体制。共和政を基盤とした帝政で、皇帝はプリンケプス(市民の第一人者)として統治した。3世紀末まで続いたが、ディオクレティアヌス帝のときに専制君主政に移行した。
謙虚なアウグストゥス
前27年、オクタウィアヌスは元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えられました。これをもって帝政ローマの開始とします。前509年にエトルリア人の王を追放して以来、約500年ぶりにローマに「王」という存在が復活しました。晴れて初代ローマ皇帝となったアウグストゥスは独りよがりの独裁者になるのかと思いきや、こんなことを言い出します。
アウグストゥス
カエサルは共和政を廃して独裁者になる勢いを見せたため、元老院の反感を買い暗殺されてしまいました。アウグストゥスはそんなカエサルを反面教師にしました。
五賢帝時代
五賢帝
パクス・ロマーナ後半の1世紀末から2世紀末、ローマ帝国が最も安定した時代の5人の皇帝。トラヤヌス帝のときに領土は最大になった。
豚さん
ローマ帝国の最大版図(トラヤヌス帝の時代)
経済活動の変化
コロナトゥス
コロナトゥス
ローマ共和政末期から帝政にかけて出現した、富裕層がコロヌス(貧困市民の小作人)を使って土地を経営する形態のこと。ローマの領土拡大が落ち着くにつれて、従来の経営形態であるラティフンディアにとって代わった。
なぜラティフンディアからコロナトゥスに移行した?
ラティフンディアは奴隷制を前提とした土地経営です。富裕層が土地を所有して、そこで奴隷を働かせます。この奴隷はどこから供給されるかというと、戦争です。戦争で勝利し獲得した捕虜を奴隷にしていました。なので領土拡大が落ち着いたパクス・ロマーナの時代には、供給される奴隷の数は減少していました。そこで富裕層は、奴隷の代わりに貧困市民を使って土地を経営する手法にシフトしたのです。
季節風貿易
パクス・ロマーナは季節風貿易にも支えられていました。インド洋に吹く風に乗って、中国や東南アジアとの交易を行い、絹や香辛料がローマに入ってきました。