ポーランド分割をわかりやすく解説

ざっくり要点
  • 18世紀にポーランドが3つに分割されてしまった出来事。
  • ロシア、プロイセン、オーストリアの3国に領土を奪われた。
  • 愛国者コシューシコが分割に抵抗した。

ポーランド分割とは?

ポーランド分割とは、18世紀にポーランドと国境を接するロシア、プロイセン、オーストリアの三国によって領土が奪われ、国家が消滅したことを指す言葉です。
風刺画
ポーランド分割を描いた風刺画です。
(左から、ロシアのエカチェリーナ2世、ポーランドのスタニスワフ2世、オーストリアのヨーゼフ2世、プロイセンのフリードリヒ2世)

理由・背景

なぜポーランドは領土を奪われ、最終的に国家消滅にまで至ったのでしょうか。その背景には、国家体制の変化がありました。

周辺国の干渉

ポーランドでは、16世紀後半にヤゲウォ朝が断絶し、選挙で国王を選ぶシステムに移行しました(選挙王制)。ただ、ポーランドの選挙王制において、選挙権があるのは有力貴族のみでした。このことが貴族同士の対立を生み、国内の不統一へと繋がってしまいます。こうしてポーランドは、領土拡大を狙う周辺国からの干渉を受けるようになったのです。

ポーランド分割までの経緯
  1. ヤゲウォ朝が断絶し、選挙で国王を選ぶようになる。
  2. 貴族が対立し、国内の不統一が進む。
  3. 周辺国が政治に干渉してくる。

ロシアの抜け駆けは許さない

周辺国がポーランドにちょっかいを出す中、特にロシアは顕著でした。エカチェリーナ2世は、自分の愛人をポーランド国王にねじ込むなどして、ポーランドの領土を独り占めしてやろうと画策していたのです。しかしその動きをプロイセンのフリードリヒ2世に勘付かれてしまいました。

エカチェリーナ2世

ポーランドがガタついてる今のうちに、領土もらっていくわよ。
ロシア怪しいな…もしやポーランドを独り占めしようとしているのか?

フリードリヒ2世


ポーランドがロシアに奪われることを警戒したプロイセン王フリードリヒ2世は、ロシアとオーストリアを誘ってポーランド分割を提唱しました。

地図上からの消滅

愛国者コシューシコ

ポーランド側も、無抵抗でただ分割を待っていたわけではありません。コシューシコという軍人は、農民を率いて武装蜂起してポーランド分割に抵抗しました。

地図上から消滅

コシューシコの抵抗もむなしく、1772年・1793年・1795年の3回に分けてポーランドは分割されてしまいました。こうして、ポーランドは100年以上の間、地図上から姿を消すこととなりました。次に復活するのは1919年の第一次世界大戦終結後です。
ポーランドの領土配分