ノルマン人の大移動

中世ヨーロッパ成立期の年表
4世紀~6世紀
ゲルマン人が大移動を開始し、西ヨーロッパ各地に国を建設。
481~751年
ゲルマン人による国家の中で、フランク王国が台頭する。現在のドイツ・イタリア・フランスのルーツ。
751~987年
「カールの戴冠」により西ローマ帝国が復活。カール大帝の死後、フランク王国は分裂。
8~12世紀
ノルマン人の大移動 今ココ
ゲルマン人の一派、ノルマン人がヨーロッパに侵入。北欧が西ヨーロッパ世界に組み込まれる。

ここまでの流れ

4~6世紀、約200年に及ぶゲルマン人の大移動により西ヨーロッパ世界が形作られました。民族移動も落ち着いたかに見えた8世紀、北ヨーロッパのノルマン人が移動を開始します。

第2の民族移動

もともとノルマン人はどこにいたか?

ノルマン人はスカンディナヴィア半島、ユトランド半島などのいわゆる「北欧」で暮らしていた民族です。地図で確認しましょう。
地図
北欧ってオーロラが見える地域ですよね。めちゃくちゃ寒そう。

そうです。しかも8世紀頃から気候に変化がおこり、ヨーロッパ全体の気温が下がってきました。「北欧という寒い地域」+気候変動のダブルパンチに耐えきれなくなったノルマン人は「もっと暖かいとこ住みたい!」と南下を開始したのです。

海上ルートでヨーロッパへ侵入

ゲルマン人は陸路でヨーロッパへ侵入しましたが、ノルマン人は海上ルートで侵入しました。ノルマン人は航海技術に優れた民族だったのです。
船

こちらの写真は、ノルマン人が実際に使用していた船です。
とても細長いですね。

この船体の細さを利用して、幅の狭い河川を辿って内陸部まで入り込むことができたのです。
POINT
ノルマン人は別名「ヴァイキング」とも呼ばれる。ヴァイキングには「入り江の民」という意味がある。

ヨーロッパ各地で建国

西ヨーロッパに南下したノルマン人は、各地で自分たちの国を建設しました。
地図

ノルマン人は大きく分けると4つの方面に侵入して国を建設しました。1つずつ見ていきましょう。

ロシア方面

ノブゴロド国

まずは9世紀末、現在のロシア北西部にあたる地域にノブゴロド国が建設されました。リューリクという人物が、ノルマン人の一派であるルーシという民族を率いて建国しました。ルーシは「ロシア」の語源にもなっています。

キエフ公国

さらにノブゴロド国の一派が南下して、キエフ公国を建設しました。

北フランス方面

ノルマンディー公国

続いて北フランス方面です。10世紀初め、ロロという人物がノルマン人を率いてノルマンディー公国を建設しました。この頃にはフランク王国は3つに分裂しており、ノルマンディー公国は西フランクの北西部に建国されました。

イギリス方面

デーン人の執念

イギリス方面には、デンマーク方面のノルマン人であるデーン人が侵入しました。しかし当時のイギリスにはすでにイングランド王国が存在していました。イングランド王国は、ゲルマン人国家であるアングロ=サクソン七王国が統一された後の王国にあたります。
デーン人の侵入をイングランド王国が迎え撃つかたちですね。

そうですね。9世紀末、イングランド側のアルフレッド大王はデーン人を撃退することに成功しました。しかし1016年にデーン人が再チャレンジします。クヌートという王に率いられ、デーン人はイギリスを征服しました。ところがまた、クヌートの死後にアングロ=サクソン系の王朝が復活します。
シーソーゲームですね。今のところデーン人の1勝2敗といったところでしょうか。

ノルマン=コンクエスト

ここで突然首を突っ込んできたのがノルマンディー公国です。1066年、ノルマンディー公国の王ウィリアムがイギリスを征服し(ノルマン=コンクエスト)、ウィリアム1世としてノルマン朝(1066~1154)を開きました。
POINT
イギリスの歴代の王は、全員が元をたどればウィリアム1世に辿り着く。ノルマン朝がイギリス王家の源流であることが分かる。

イタリア方面

両シチリア王国

最後はイタリア方面です。12世紀前半に南イタリアとシチリア島で両シチリア王国が建設されました。
どうして「両」がついてるんですか?

13世紀にシチリア王国が半島側とシチリア島側の2つに分裂するんですが、その時に両国の王が「俺がシチリア王だ」と言い張ったために、このネーミングになりました。