チャンドラグプタ/マウリヤ朝①【古代インド】

古代インドの年表
前2600~前1800年頃
ドラヴィダ人によるインド最古の文明。「四大文明」の1つ。
前1500~前500年頃
アジアから侵入したアーリヤ人による時代。前期ヴェーダ時代と後期ヴェーダ時代に分かれる。
前6~前5世紀
小国が分立した時代の2大強国。
前317~前180年頃
マウリヤ朝 今ココ
インド初の統一王朝。アショーカ王のとき全盛期。
1~3世紀
  • クシャーナ朝:インドの北で、交易によって栄えた王朝。カニシカ王のとき全盛期。
  • サータヴァーハナ朝:インド南部の王朝。クシャーナ朝と同じく交易で栄える。
320~550年頃
インドの古典文化が開花した時代。ヒンドゥー教が定着。
606~647年
ハルシャ王による一代限りの王朝。

ここまでの流れ

アーリヤ人による小さな都市国家がひしめく十六大国時代では、16の国の中からマガダ国が近隣の国家を征服して勢力を伸ばしました。そして前4世紀中頃にマガダ国で「ナンダ朝」という王朝が成立し、帝国の基盤が固まりました。

きっかけはアレクサンドロス大王だった

アレクサンドロス大王ってインド関係なくないですか?

実はウマイヤ朝の成立にはアレクサンドロス大王が深く関わっています。こうした交わりは世界史の醍醐味ですね。

アレクサンドロス大王がインダス川まで到達!どうなるインド?

アレクサンドロス大王と言えば東方遠征です。アレクサンドロス大王はギリシア北部のマケドニアを出発して東へどんどん遠征を仕掛け、ついにインダス川まで到達しました。
アレクサンドロス大王はインドも征服したんですか?

アレクサンドロス大王はそのつもりでした。しかし長旅に疲れ果てた部下たちが「もう引き返しましょう」とアレクサンドロス大王に懇願し、東方遠征はインダス川でストップしました。マケドニア-インダス川間は直線距離にしても5000kmありますからね。疲れるのも無理はありません。
もし部下たちが引き留めてなかったら、その後の世界史は大きく変わっていたのかもしれませんね…

地図

いつまでもバラバラじゃだめ

なんとかアレクサンドロス大王が引き返してくれたものの、彼の部下たちがインダス川流域を支配したままです。インドの人々は「もし攻めてこられたらどうしよう。」と不安になります。当時のインドはマガダ国のナンダ朝が有力ではあるものの、他にも小国家が分立しており、まだバラバラの状態でした。分裂状態で到底勝てるわけないと焦るインドの国たちは、少しずつまとまり始めます
アレクサンドロス大王という強大な敵をきっかけに、インドがまとまっていくんですね。

チャンドラグプタがインドを統一

ウマイヤ朝創始

そして前317年頃、マガダ国出身の青年チャンドラグプタがナンダ朝を倒し、ウマイヤ朝を創始しました。チャンドラグプタはその後すぐに西北インドへ向かい、アレクサンドロス大王が残したギリシア人たちをインド世界から追い出しました。

南部にも進出

さらにチャンドラグプタは、デカン高原というインド半島の南部にも進出し勢力を伸ばしました。そしてウマイヤ朝はインド史上初めて、ガンジス川とインダス川とデカン高原を合わせた統一王朝となりました。また都はガンジス川中流域のパータリプトラに置かれました。

確認テスト

答え.チャンドラグプタ
答え.パータリプトラ


古代インド