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イギリス自由主義的改革をわかりやすく解説

イギリス自由主義的改革とは?

1820~40年代のイギリスでは、自由主義に基づくさまざまな改革がありました。
※自由主義というのは、「個人の自由や平等を大切にしよう」という思想です。

自由主義改革が始まった背景

イギリスで自由主義的改革が始まった背景を解説します。
18世紀末以降、イギリスではトーリ党政権が続いてました。トーリ党とは、国王の権威を重んじる保守的な政党です。
同時期にイギリスは産業革命の時代を迎えていました。産業革命を支える産業資本家(工場経営者など)や労働者は保守的な政治に反抗し、自由主義的改革を要求しました。政府としては、イギリス経済を引っ張る彼らの要求を突っぱねるわけにもいきません。こうして1820~40年代にかけて、イギリスで自由主義的改革が進められていきます。

自由主義的革命の内容は大きく分けて以下の3つです。
イギリス自由主義的改革の大まかな内容
  • 政治面の宗教差別撤廃
  • 選挙法改正
  • 自由貿易の推進

政治面の宗教差別撤廃

まずは、宗教差別の撤廃の流れを見ていきましょう。

審査法の廃止

1828年に審査法が廃止されました。審査法とは、公職に就ける人物をイギリス国教徒に限定する法律です。
審査法が廃止されたことで、イギリス国教徒以外でも公職に就けるようになりました(カトリックを除く)。

MEMO
審査法が制定されたのはステュアート朝時代の1673年です。カトリックの復活を狙うチャールズ2世に対して、議会がそれを阻止するために制定しました。

カトリック教徒解放法

審査法廃止の翌年にはカトリック教徒解放法が成立し、カトリック教徒でも公職につけるようになりました。

選挙権拡大

選挙法改正

次に、国民の選挙権の拡大の動きを見ていきましょう。
産業革命を支える資本家たちは、「これだけイギリス経済に貢献してるんだから、自分たちも選挙に参加させろ!」と要求し始めます。この要求を受け入れたホイッグ党内閣は1回選挙法改正に踏み切り、都市の資本家が選挙権を獲得することとなりました。
選挙法改正は約140年かけて6回に分けて行われ、段階的に国民の選挙権が拡大していきました。

選挙法改正の道のり
内閣(党) 選挙権を得た階級(有権者の全国民比)
第1回(1832) グレイ(ホイッグ) 産業資本家(5%)
第2回(1867) ダービー(保守) 都市の工業労働者(9%)
第3回(1884) グラッドストン(自由) 農業労働者・鉱山労働者(19%)
第4回(1918) ロイド=ジョージ(自由) 21歳以上の男性・30歳以上の女性(46%)
第5回(1928) ボールドウィン(保守) 21歳以上の男女(62%)
第6回(1969) ウィルソン(労働) 18歳以上の男女(71%)

※19世紀中頃に、トーリ党は「保守党」へ、ホイッグ党は「自由党」へと改名している。

チャーティスト運動

第1回選挙法改正で選挙権を得たのは資本家だけですので、工場で働く労働者は含まれていません。これに不満を持った労働者たちは集会・デモを繰り返し、選挙権のさらなる拡大を要求しました。この政治運動をチャーティスト運動といいます。

運動の鎮静化

保守党・自由党の両党は、第1回選挙法改正で満足した資本家を味方につけることで、チャーティスト運動を押さえようと試みました。この企ては成功し、チャーティスト運動は1848年のフランスの二月革命に影響されて最後の盛り上がりを見せた後、衰退していきました。

MEMO
チャーティスト運動では、人民憲章という、議会への要求を6か条にまとめた請願書が掲げられました。人民憲章は英語で「People’s Charter」、「チャーティスト運動」の名称の由来になっています。

自由貿易の推進

東インド会社の商業活動停止

1833年、 イギリス東インド会社の中国貿易独占権が廃止されました。東インド会社とは、アジア地域の貿易独占権を与えられた会社です。さらには商業活動すら全面的に禁止され、民間の会社も貿易に参加できるようになったのです。

穀物法廃止

1846年には、穀物法が廃止されました。

穀物法とは

穀物法とは、外国からの穀物輸入を制限する法律です。イギリス内に出回る穀物の量を制限することで穀物価格の高値を維持し、地主層を保護することが目的でした。穀物法が成立した1815年当時は、地主や農業資本家が議会の多数を占めていたことが背景にあります。

反穀物法同盟

価格高騰する穀物に労働者と資本家は不満をため、穀物法の反対運動を展開しました。産業資本家のコブデンとブライトは反穀物法同盟を結成し、反対運動を先導しました。

なぜ資本家まで穀物法に反対したのか?

賃金の低い労働者が穀物法に反対するのは分かりますよね。「お金が足りないから、パンを安くしてくれ」と要求するのは自然です。ではなぜ産業資本家までも穀物法に反対したのでしょうか?

資本家がなぜ穀物法に反対したか?
穀物法により国内の穀物価格が上昇する。
→賃金の低い労働者が穀物(パンなど)を買えなくなる。
→雇い主の資本家は、労働者の賃金を上げざるを得なくなる。
→資本家「労働者の賃金を上げたくない!穀物法に反対!」

穀物法を廃止することにおいて、労働者と資本家の利害が一致していたんですね。

航海法廃止

1849年には航海法が廃止され、イギリス自由貿易が確立されました。
航海法とは、1651年のクロムウェルの時代に制定された法律です。海上貿易においてイギリス船か貿易相手国の船のみを使用するように制限することで、当時中継貿易で繁栄していたオランダを邪魔しようとしました。
航海法

自由主義的改革 まとめ

まとめ
  • 1820~40年代のイギリスにおいて、自由主義的改革がなされた。
  • 18世紀からの産業革命により発言力が増した産業資本家や労働者は、自由主義を求める運動を展開した。
  • 審査法の廃止・カトリック教徒解放法により、政治面での宗教差別が撤廃された。
  • 全6回に渡る選挙法改正で、段階的に選挙権が拡大された。
  • 東インド会社の商業活動停止・穀物法と航海法の廃止により、自由貿易が確立した。