ロマノフ朝をわかりやすく解説

ざっくり要点
  • ロマノフ朝とは、17~20世紀のロシアの王朝のこと。
  • 西ヨーロッパをモデルにした近代化政策がとられた。
  • ピョートル1世とエカチェリーナ2世の時代に最盛期を迎えた。

ロマノフ朝とは

ロマノフ朝とは、1613年から1917年まで存在したロシアの王朝です。
それまでのロシア(モスクワ大公国)はリューリク朝です。しかし雷帝イヴァン4世の死後しばらくして王朝は断絶し、1613年に新たにミハイル=ロマノフが即位してロマノフ朝が始まりました。

ピョートル1世

ロマノフ朝の全盛期を実現した皇帝を2人紹介します。まずはピョートル1世(在位:1682~1725)です。

西欧視察

当時のロシアはまだまだ発展途上国です。そこでピョートル1世は先進的な西欧諸国を視察しようと考え、約250名の使節団を結成してヨーロッパに派遣しました。そしてピョートル自身も船大工としてオランダの造船所で4か月間働きました。この経験によって、ピョートル1世はイギリスやオランダのような海洋貿易大国を目指す決意をしました。

ピョートル1世

技術は現場で学ぶのが一番だ。

北方戦争

海洋貿易をするには、どこかの海を獲得しないといけません。そこでピョートル1世が目をつけたのが、ロシアとスウェーデンの間にあるバルト海です。当時バルト海貿易を独占していたスウェーデンに攻撃を仕掛け、北方戦争が始まりました。この戦争でロシアは見事スウェーデンに勝利し、バルト海に進出しました。その後バルト海沿岸に都市ペテルブルクを建設し、モスクワから首都を移転させました。

世界遺産
サンクトペテルブルク

サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

西欧視察を終えたピョートル1世が、モスクワに代わる新都として建設した都市。ヨーロッパの先進諸国を模倣した計画都市であり、フランスやイタリアから建築士を招いて造れらた。

清との国境決定

また中国の清朝とネルチンスク条約を結び、ロシアと中国の国境を定めました。
ロシア帝国領土

まとめ ピョートル1世がやったこと
  • 近代化のためにヨーロッパ視察
  • スウェーデンと戦ってバルト海を奪う
  • 清と国境を定める

エカチェリーナ2世

ロマノフ朝最盛期の立役者、2人目はエカチェリーナ2世(在位:1762~1796)です。元々は夫のピョートル3世が皇帝を務めていましたが、あまりのふがいなさにクーデタを起こして自らが皇帝に即位したという、骨太な女性です。
こぼれ話
エカチェリーナ2世には愛人が数百人おり、毎晩違う男性を寝室に連れ込んでいたという噂話があります。数百人というのはあくまで噂ですが、公認の愛人は10人いました。

農奴制強化

エカチェリーナ2世は農奴制を強化しました。ロシアの主力産業である農業を伸ばすために、農民を農業だけに専念させようしたのです。奴隷のような待遇になってしまった農民はエカチェリーナ2世に猛反発し、1773年にはプガチョフの農民反乱が起こりましたが、弾圧されました。

対外政策

ポーランド分割

エカチェリーナ2世の時代、ロシア、オーストリア、プロイセンによるポーランド分割に参加し、ロシア西方の領土を拡大しました。

日本にも興味

ポーランド分割はロシアの西側の出来事ですが、エカチェリーナ2世は東方にも目を向けていました。海軍軍人のラクスマンを日本に派遣し、当時鎖国政策をとっていた江戸幕府に開国を要求しました。

まとめ エカチェリーナ2世がやったこと
  • 農奴制を強化
  • ポーランド分割に参加
  • ラクスマンを日本に派遣