古代中国の年表
8~23年
新 今ココ
建国者の王莽が、周時代の制度を復活させようと時代錯誤な改革を行った。赤眉の乱により滅亡。
宦官と外戚
皇帝の側近
前漢時代、皇帝の側近には宦官(かんがん)や外戚(がいせき)といった者がいました。
宦官..?外戚..?
宦官とは男性器を切り落とされた男のことで、皇帝の身の回りのお世話をしました。外戚は、皇后(皇帝の奥さん)の親族のことです。
切り落とす?!どうしてそんなことを…
宦官は皇帝の側近で働くので、皇后や女官たちとの交わりが起きないようにしたのです。下の写真は、今から100年ほど前の宦官です。

武帝の死後
前漢の黄金期を築いた武帝の時代には、皇帝に権力が集中していました。しかし武帝が亡くなると、宦官や外戚が実権を握ろうと動き始めます。
前漢の終わり、新の時代へ
外戚・王莽のクーデタ
後8年、外戚の王莽(おうもう)という人物に漢王朝は乗っ取られてしまい、前漢の時代は終了しました。帝位を奪った王莽は新たに「新」という王朝をたてました。
皇帝の身近な人物に前漢はやられちゃったんですね。
「新」だけど「古い」
「新」という名前の王朝ですが、王莽は過去の「周」王朝を理想としました。
周ってあの、封建制とかの時代ですよね?めちゃくちゃ昔じゃないですか?
そうなんです。新王朝からみて周は1000年も昔の時代です。王莽はそんな大昔の時代の政治を取り入れようとするものですから、すぐに反乱が起きてしまいました。
当たり前ですよね….今の日本が平安時代の政治をするみたいなことですもんね。
赤眉の乱
王莽の時代錯誤な政治の結果、新は15年で滅亡してしまいます。新が滅亡に至った反乱を赤眉(せきび)の乱といいます。
赤眉?赤い眉毛??
王莽率いる政府軍との区別をつけるため、反乱軍のメンバーは眉を赤く染めたのです。赤色は漢王朝のシンボルカラーのようなものだったので、「新を倒して漢を復活させるぞ!」という意思の表れともとれます。

確認テスト
答え.宦官
答え.王莽
答え.赤眉の乱
古代中国