ペルシア戦争をわかりやすく解説【古代ギリシア】

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ペルシア戦争
紀元前499年から紀元前449年まで行われた、当時絶頂期のアケメネス朝ペルシアとギリシアによる戦争。ペルシアは苦戦し最終的にギリシア侵略を諦めた。

ここまでの流れ

紀元前500年ごろ、アケメネス朝ペルシアがぐんぐん勢力を伸ばしており、ついにギリシア世界とぶつかりました。アテネやスパルタを中心としたギリシア軍が強国ペルシアを迎え撃ちます。

きっかけはイオニア植民市の反乱

拡大するペルシア

元々ペルシアは小アジアの小王国に過ぎませんでした。隣国に対して征服宣言をし、従えば属国、逆らえば征服戦争を起こす。その繰り返しでペルシアは領土を拡大してきました。

攻撃的で野心溢れるペルシアが、ギリシア世界に目を向けるのは当然の流れでした。

反乱勃発

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当時、ダレイオス1世が治めるペルシアは絶頂期にありました。ペルシアはギリシア世界まで進出してやろうかと圧力をかけており、小アジアのイオニア地方のギリシア植民市(中心地はミレトス)がペルシアに対して反乱を起こしました。

アテネの援助に激怒

結果的にペルシア軍によってイオニアは陥落しますが、このときアテネイオニアの反乱を援助していました。アテネの援助に激怒したペルシアのダレイオス1世は、ギリシアに対して戦争をしかけました。これが50年に及ぶペルシア戦争の始まりです。

ダレイオス1世

我々ペルシアに歯向かうとは、アテネの野郎いい度胸してるな。

マラトンの戦い(紀元前490年)

マラトンの戦い

紀元前490年、アテネ軍がペルシア軍を破った戦い。アテネの中小市民が重装歩兵部隊として活躍した。

ペルシア戦争の開始から10年たったころ、マラトンの戦いが始まります。
ペルシア軍は15000人という大軍でアテネの港、マラトンを攻め込みます。対するアテネ軍は1万人です。しかし終わってみれば、ペルシア軍の戦死者は6400人、一方アテネの戦死者はたったの192人でした。

なぜアテネは勝てたか?

アテネ軍の兵士は「重装歩兵」、それに対してペルシア軍の兵士は「軽装歩兵」でした。その違いは、剣や盾などの武器の性能面で重装歩兵の方が優れているという点です。弓矢を使った長距離攻撃も仕掛けてくるペルシア軍に対して、アテネ軍は接近戦に持ち込むことで重装歩兵部隊の強みを活かしたのです。

テルモピュライの戦い(前 480年)

テルモピュライの戦い(前 480年)

ギリシア中東部のテルモピュライ(テルモピレー)で、とスパルタ軍とペルシア軍が激突した戦い。ペルシア軍が勝利し、レオニダス王率いる300人の精鋭スパルタ軍は全滅した。

テルモピュライの戦いでは、クセルクセス1世が率いるペルシアの軍隊は20万人、それに対してレオニダスが率いたスパルタ軍はたったの300人でした。この圧倒的な戦力差でも、戦いの前半はスパルタ軍の優勢だったのですからどれだけ強いんだという話です。

ペルシア軍が2万人の戦死者を出した段階でも、スパルタ軍の300人は誰一人として欠けることなく生き残っていました。
スパルタ教育のたまものですね..

「勝つか、死か」勇敢なスパルタ兵

像

レオニダス王

戦中、レオニダスは矢が刺さり瀕死の状態に陥りました。スパルタ兵たちは、動けなくなったレオニダスを円形に囲むようにして守りながら、無数の弓矢を浴びせてくるペルシア軍と戦いました。最後は圧倒的な兵力で勝るペルシア軍が総攻撃を仕掛け、レオニダスを含む300人のスパルタ兵は全滅してしまいました。

敗戦したものの、スパルタは懸命にペルシアの侵略を食い止め、時間を稼ぎました。その間にアテネを中心とした他のギリシア軍は次の海戦に向けての準備を進めることができました。

サラミスの海戦(前480年)

サラミスの海戦

前480年、ギリシアのサラミス島近海でギリシア艦隊とペルシア艦隊が激突した海戦。アテネの無産市民が三段櫂船の漕ぎ手として活躍し、ギリシア軍が勝利した。

テルモピュライの戦いで勇猛に戦い、むなしく散ったスパルタ軍。彼らの後を受けて、ギリシア軍は満を持してサラミスの海戦に臨みます。アテネの指導者テミストクレスは「陸上ではペルシアに勝てない。」と判断し、海戦に持ち込みました。

三段櫂船で体当たり

サラミスの海戦ではアテネの無産市民が活躍しました。無産市民とは、お金がなくて武器が買えない人たちのことです。彼らは三段櫂船(かいせん)という船に乗り、船ごと体当たりする戦法でペルシア船を次々に撃沈させていきました。

ペルシア敗戦の裏にクセルクセス1世の油断

テルモピュライで勝てたし、サラミスでも勝てるだろう。
ペルシア海軍を率いたクセルクセス1世は、油断した状態でサラミスの海戦に臨んでしまいました。海軍の総指揮を経験の浅い弟に任せたうえ、クセルクセス1世本人は崖の上から海戦を見下ろしていたといいます。ギリシア征服を達成する瞬間を、自分の目で見届けようとしたのです。

プラタイアの戦い(前479年)

プラタイアの戦い

アテネとスパルタの連合軍がペルシアに勝利した戦い。ペルシア戦争におけるギリシアの勝利が決定的となり、ペルシアはギリシア侵略を諦めた。

アテネとスパルタの連合軍がペルシアに勝利した戦いです。アテネがスパルタに救援要請を出し、期待通りスパルタの軍事エリートたちはペルシア軍をボコボコにしていきます。ペルシア軍は20万人以上が戦死した一方で、スパルタ軍の戦死者は91人、アテネ軍は52人だけでした。ギリシアの圧勝です。

スパルタ

テルモピュライでの借りを返すことができた。

戦後の影響

プラタイアの戦いをもってペルシア戦争はギリシアの勝利が決定的となり、ペルシアはギリシア侵略を諦めました。ギリシアがペルシアを撃退したことは、その後ヨーロッパとアジアの区別が生まれるきっかけになったと言えます。

ちなみにペルシア王クセルクセスは敗北の屈辱から人格が破綻し、息子の妻と不倫関係を持つなどして、最後は家臣に暗殺されました。