ゲルマン人の大移動

中世ヨーロッパ成立期の年表
4世紀~6世紀
ゲルマン人の大移動 今ココ
ゲルマン人が大移動を開始し、西ヨーロッパ各地に国を建設。
481~751年
ゲルマン人による国家の中で、フランク王国が台頭する。現在のドイツ・イタリア・フランスのルーツ。
751~987年
「カールの戴冠」により西ローマ帝国が復活。カール大帝の死後、フランク王国は分裂。
8~12世紀
ゲルマン人の一派、ノルマン人がヨーロッパに侵入。北欧が西ヨーロッパ世界に組み込まれる。

大移動の開始

なぜゲルマン人は移動したか?

かつて古代ヨーロッパでは、ローマ帝国が地中海をぐるっと取り囲むように存在していました。しかし395年にローマ帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国とビザンツ帝国に分かれましたローマ帝国の東西分裂と同時期に、ローマ帝国のすぐ近く、アルプス山脈の北に住んでいたゲルマン人という民族が大移動を開始し、西ローマ帝国に侵入していきます。
なぜゲルマン人は移動したんですか?おとなしく定住していればいいのに。

ゲルマン人も好きで移動したわけではなく、やむを得ない事情があったんです。それがフン人という民族の存在です。アジア方面からフン人がゲルマン世界を圧迫し始め、ゲルマン人の一部族である西ゴート人が西ローマ帝国領内へと逃げ込みます。それをみた他のゲルマン人たちも後を追うように西ローマ帝国領内の色んな所へ散り散りになりました。
地図

ゲルマン人・西ローマ連合軍 vs フン人

ヨーロッパ世界に逃げたゲルマン人ですが、まだ油断はできません。フン人は5世紀前半にアッティラ王が大帝国を築き、ゲルマン人を追いかけました。
フン人もしつこいですね…

ゲルマン人もいつまでも逃げているわけにはいきません。覚悟を決めたゲルマン人は西ローマ帝国と結託し、フン人の進入を食い止めました。
もしアジア系のフン人が勝っていたら、今のヨーロッパも違う感じになってたかもしれないですね。

西ローマ帝国の滅亡

オドアケルの登場

フン人を撃退したとはいえ、西ローマ帝国にはゲルマン人がどんどん入ってきます。そんな混乱状態の中、476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国は滅ぼされました

中世ヨーロッパが始まる

西ローマ帝国の滅亡(5世紀)からルネサンス(14~16世紀)や大航海時代(15~17世紀)までの約1000年間を、一般的に中世といいます。スマホゲームなどでも中世ヨーロッパはよく題材になっていますね。
中世ヨーロッパのきっかけをつくったゲルマン人は、ターニングポイント的な民族なんですね。

乱立するゲルマン諸国たち

ゲルマン人の各民族は、移動先のヨーロッパ各地に国を建設していきました。数が多いので、地図で確認しましょう。
地図
めちゃくちゃ多いですね…覚えるのが大変。

200年間ほどで、これだけの国が成立しました。この中で最後に出来た国が北イタリアのランゴバルド王国です。

短命に終わったゲルマン諸国

ゲルマン人が西ヨーロッパ各地に建設した国家は、そのほとんどが短命に終わってしまいました。その理由として、宗教の問題があります。

追い詰められるアリウス派

話はローマ帝国の東西分裂前にさかのぼります。キリスト教の中にも宗派がいろいろあります。その中の一つがアリウス派です。
覚えてる?
アリウス派:325年のニケーア公会議で異端とされた宗派。三位一体説を唱えるアタナシウス派が正統とされた。

ニケーア公会議で異端認定されたアリウス派に追い打ちをかけるように、392年にテオドシウス帝がアタナシウス派キリスト教をローマ帝国の国教に定めました。「アタナシウス派以外はダメ!」ということです。
いよいよアリウス派の行き場がなくなってきましたね…

イラスト

ゲルマン人を狙え!

もしたぬき君がアリウス派の指導者だったらどうしますか?
うーん…ローマ帝国にはいられないので、他の地域に布教するとかですかね?

いいですね。アリウス派はローマ帝国の外に活路を見出そうとしました。そこで目を付けたのが、ローマ帝国と隣接した地域に住むゲルマン人だったのです。もう後がないアリウス派の熱心な布教活動を、ゲルマン人は受け入れていきました。
人

アリウス派の言いなりはゴメン?

しかしここで問題発生です。話をゲルマン人の移動後に戻します。アリウス派のゲルマン人がヨーロッパで国を作っていきますが、ゲルマン人が支配した住民の多くはローマ人です。以前まで西ローマ帝国があったので当然ですね。問題なのは、ローマ人はアタナシウス派であるということです
支配する側(ゲルマン人)、される側(ローマ人)で宗派が違うということですね。それじゃあ国はまとまらなさそう。

またアリウス派とアタナシウス派同士の結婚も認められていなかったので、ゲルマン人が建設した国々はすぐさま衰退し、滅んでいったというわけです。しかしその中で、フランク王国は例外的に長寿国家へと成長していきました。