ゲルマン人の大移動をわかりやすく解説

ゲルマン人の大移動

4~6世紀、ゲルマン人がヨーロッパに侵入し、各地に国家を建設した動きのこと。中世ヨーロッパの幕開けとも言える出来事

大移動の開始

地中海周辺をローマ帝国が支配していたころ、そのすぐ近くのアルプス山脈の北にゲルマン人は住んでいました。
ゲルマン人の位置

4世紀のヨーロッパ

4世紀後半、ゲルマン人が南下してローマ帝国内に侵入し始めました。
POINT
混乱に陥ったローマ帝国は395年に東西に分裂し、西ローマ帝国とビザンツ帝国に分かれました。

なぜゲルマン人は移動したか?

そもそもなぜゲルマン人は大移動を開始したのか、その理由はフン人という民族の存在です。
アジア方面にいたフン人が西に移動し、ゲルマン人を圧迫し始めたのです。まずゲルマン人の一部族である西ゴート人が西ローマ帝国領内へと逃げ込みました。それを見た他のゲルマン人たちも、西ローマ帝国領内の色んな所へ散り散りになりました。

ゲルマン人の大移動

ゲルマン人の大移動

ゲルマン・西ローマ連合軍 vs フン人

ヨーロッパ世界に逃げたゲルマン人ですが、まだ油断はできません。フン人は5世紀前半にアッティラ王が大帝国を築き、ゲルマン人を追いかけました。
ゲルマン人もいつまでも逃げているわけにはいきません。覚悟を決めたゲルマン人は西ローマ帝国と結託し、フン人の進入を食い止めました。

もしアジア系のフン人が勝っていたら、今のヨーロッパも違う感じになってたかもしれないですね。

中世ヨーロッパの幕開け

西ローマ帝国の滅亡

フン人撃退後も、西ローマ帝国にはゲルマン人がどんどん入ってきます。そんな混乱状態の中、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって、西ローマ帝国は滅ぼされました。

MEMO
西ローマ帝国の滅亡(476年)からルネサンス(14~16世紀)や大航海時代(15~17世紀)までの約1000年間を、一般的に中世といいます。

中世ヨーロッパのきっかけをつくったゲルマン人は、ターニングポイント的な民族と言えます。

乱立するゲルマン諸国たち

ゲルマン人の各民族は、移動先のヨーロッパ各地に国を建設していきました。数が多いので、地図で確認しましょう。
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 ゲルマン人が建設した国

ゲルマン人が建設した国

200年間ほどで、これだけの国が成立しました。この中で最後に出来た国が北イタリアのランゴバルド王国です。

短命に終わったゲルマン諸国

ゲルマン人が西ヨーロッパ各地に建設した国家は、そのほとんどが短命に終わってしまいました。その理由として、宗教の問題があります。

追い詰められたアリウス派

話はローマ帝国の東西分裂前にさかのぼります。当時、キリスト教の宗派の1つであるアリウス派がピンチを迎えていました。

覚えてる?
アリウス派:325年のニケーア公会議で異端とされた宗派。三位一体説を唱えるアタナシウス派が正統とされた。
ニケーア公会議で異端認定されたアリウス派に追い打ちをかけるように、392年にテオドシウス帝がアタナシウス派キリスト教をローマ帝国の国教に定めました。「アタナシウス派以外はダメ!」ということです。

いよいよアリウス派の行き場がなくなってきました。
イラスト

ゲルマン人に布教

ローマ帝国を追い出されたアリウス派は、ローマ帝国と隣接した地域に住むゲルマン人に目をつけました。ゲルマン人に布教することで、アリウス派を存続させようという狙いです。もう後がないアリウス派の熱心な布教活動を、ゲルマン人は受け入れていきました。
人

ローマ人の反発

しかしここで問題発生です。話をゲルマン人の大移動後に戻します。アリウス派に改宗されたゲルマン人がヨーロッパで国を作っていきますが、ゲルマン人が支配する住民の多くはローマ人です。以前まで西ローマ帝国があったので当然ですね。問題なのは、ローマ人はアタナシウス派であるということです。

支配する側(ゲルマン人)、される側(ローマ人)で宗派が違うということです。
またアリウス派とアタナシウス派同士の結婚も認められていなかったので、ゲルマン人が建設した国々はすぐさま衰退し、滅んでいったというわけです。しかしその中で、フランク王国は例外的に長寿国家へと成長していきました。

ゲルマン人の大移動 まとめ

まとめ
  • 4世紀後半、フン人に圧迫されたゲルマン人はヨーロッパに南下し、各地で国を建設した。
  • ローマ帝国はゲルマン人の侵入により混乱し、東西分裂した。分裂後の西ローマ帝国はゲルマン人のオドアケルによって滅ぼされた。
  • 宗教上の問題から、フランク王国を除くほとんどのゲルマン諸国が短命に終わった。