ディオクレティアヌス帝をわかりやすく解説【古代ローマ】

顔

ディオクレティアヌス帝
3世紀末のローマ帝国の皇帝。軍人皇帝時代を収束させた。四帝分治によって帝国を東西に分割し、自らを神格化する専制君主政をとった。

ここまでの流れ

アウグストゥスの治世以降、ローマ帝国は「パクス・ロマーナ」という空前の繁栄期を迎えました。しかし3世紀にはいると一転、軍人出身の皇帝が乱立する「軍人皇帝時代」に突入しました。皇帝の権威は失墜し、ローマ帝国は分裂の危機に陥りました。

専制君主政(ドミナトゥス)

専制君主政

ディオクレティアヌス帝が始めた、帝政ローマ後期における政治形態。共和政を尊重していた元首政とは異なり、皇帝を神格化させた。

背景

軍人皇帝時代に何人も皇帝が入れ替わったせいで、ローマ皇帝の権威が失墜してしまいました。このままではローマ帝国は分裂してしまいます。しかし、284年にディオクレティアヌスという強烈なリーダーシップを持った人物が皇帝に即位しました。

皇帝崇拝を強制

ディオクレティアヌス帝はこんなことを言い出しました。

ディオクレティアヌス

私は神の子だ。崇拝しなさい。
ディオクレティアヌスは自ら神聖なる皇帝を自称し、権力を自分に集中させました。ローマ帝政初期の元首政(プリンキパトゥス)に対して、この帝政を専制君主政(ドミナトゥス)と呼びます。

ローマ帝政の変遷

表

アウグストゥスが開始した元首政はこれにて終了しました。

キリスト教徒の大迫害

 専制君主政のもとでは、ローマ皇帝を神として崇拝しなければなりません。そのような行為は、キリストのみを信仰するキリスト教徒には耐えがたい行為でした。
火
キリスト教徒の反逆行為を警戒したディオクレティアヌス帝は、キリスト教の迫害を実行しました。聖書を焼却して教会は破壊、数千人のキリスト教徒を処刑するなど、徹底的な迫害でした。これ以降、ローマ帝国はキリスト教に寛容になっていくので、ディオクレティアヌス帝が行った迫害は「最後の大迫害」とも呼ばれます。

四帝分治(テトラルキア)

図

四帝文治

ディオクレティアヌス帝が始めた、ローマ帝国を東西に分割してそれぞれに正帝と副帝を置く政治体制。広大化した帝国を効率的に治めることを狙った。

背景

ディオクレティアヌスは、広大なローマ帝国を自分だけで統治するのは難しいと考えました。また、帝国内に4人の皇帝を配置することで、軍人皇帝時代のような皇帝の地位を狙う者たちの内乱を避ける狙いがありました。

ディオクレティアヌス自身は東方の正帝を務め、都をニコメディアに置きました。

首都ローマの変化

ローマ帝国の首都であったローマは、東西のどの皇帝の拠点ともされませんでした。四帝文治においては、それぞれの皇帝領を維持するうえで実用的な土地が皇帝の拠点として選ばれたからです。