内乱の1世紀
ローマ共和政末期に約100年続いた内乱期のこと。グラックス兄弟の改革失敗をきっかけに内乱が始まり、オクタウィアヌスの帝政開始によって収束した。内乱を経てローマは共和政が崩壊し帝政に移行した。
目次
内乱の背景に、ローマの二極化
カルタゴとのポエニ戦争に勝利したローマはマケドニアとギリシアの諸ポリスも支配し、地中海を制覇する巨大帝国へと成長しました。しかし本来喜ばしいはずの領土拡大によって、かえってローマ内部は不安定になっていくのでした。
没落する中小農民
ローマが領土を拡大するにつれて、中小農民たちが没落していきました。その理由として、第二次ポエニ戦争が考えられます。
- イタリア半島が主戦場となり、農地が荒れ果てた。
- 市民は自費で武装していたので、長期の戦争によって経済的に疲弊した。
パンとサーカス
パンとサーカス
ローマ共和政末期に、市民が有力者に求めた食糧(パン)と、闘技場での剣闘などの娯楽(サーカス)のこと。堕落したローマ共和政を風刺した表現。
ラティフンディアで富裕層は儲かる
ラティフンディア
富裕層が大農園を所有し、そこで奴隷を働かせる大土地経営のこと。ローマの貧富格差拡大を助長した制度でもある。
対外戦争によって新たに領土を獲得したとき、新領土内の農地はいったんローマが貰い受け、市民に貸し出しました。その農地は貴族が大金をはたいて借り受け、奴隷を働かせていました。
ローマ共和政が不安定に
こうして市民間の貧富の差が拡大し、政治家は2つの派閥に分裂してローマ共和政が不安定になっていきました。
平民派:民会を重んじる革新派(代表例人物:マリウス)
グラックス兄弟の改革
グラックス兄弟の改革(前133~123年)
ラティフンディアによる土地の占有を制限して、土地を無産市民に再分配しようとした改革。貴族階級の猛反対によって改革は失敗に終わる。兄は暗殺され、弟は自殺。
なぜ改革を行ったか?
ローマの軍事力は市民による重装歩兵がベースです。市民は自腹で武器を買い、戦争に駆り出されていました。しかし共和政末期になると、農民は没落しローマは武器を買えない人で溢れかえっています。こうなると国全体の軍事力が低下してしまいます。そこで登場するのがグラックス兄弟です。グラックス兄弟は、2人連続して護民官に選出されました。
グラックス兄弟
改革失敗-内乱の一世紀に突入
グラックス兄弟の改革は、ラティフンディアで利益を得ていた貴族階級には受け入れ難いものでした。結局、貴族階級の反対によってグラックス兄弟の改革は失敗し、ローマは内乱の1世紀に突入します。
同盟市戦争
同盟市
イタリア半島内の、ローマに征服された都市。市民権がなく隷属的な扱いを受けていた。
スパルタクスの反乱
スパルタクスの反乱
前73年に剣闘士スパルタクスが起こした、剣闘士・奴隷階級によるローマへの反乱。前71年にクラックス、ポンペイウスらによって鎮圧された。

ポンペイウスとクラッススが鎮圧
スパルタクスの反乱は当初奴隷側が優勢でしたが、最終的にはポンペイウスとクラッススを中心としたローマ軍に鎮圧されました。ポンペイウスとクラッススの2人はスパルタクスの反乱を鎮めたことで社会的名声を得て、前70年には執政官に選出されました。
後にカエサルが台頭するようになると、ポンペイウスとクラッススはカエサルと第一回三頭政治を組むことになります。
第1回三頭政治
【ポンペイウス】スパルタクスの反乱を鎮める

ポンペイウス
共和政ローマ期の軍人。スパルタクスの反乱をクラッススと共に鎮めたことで名声を得て、執政官に就任する。しかしその並外れた功績から、「未来の独裁者候補」として元老院から警戒されていた。
【クラッスス】ローマ最大の大富豪

クラッスス
共和政ローマ期の軍人。閥族派のスラ配下将軍として活躍し、大土地経営や銀山を保有して、ローマ一の大富豪に登りつめた。ポンペイウスと共にスパルタクスの反乱を鎮め、執政官に就任した。
【カエサル】平民のヒーロー

カエサル
共和政ローマの軍人。平民派マリウスの後継者でもあり、民衆からの支持は絶大だった。ポンペイウスとクラッススを仲裁して三頭政治を結成し、当時強大な政治力を持っていた元老院に対抗した。
ガリア遠征

ガリア遠征
紀元前58年~51年にかけてカエサルがガリア(現在のフランスにあたる地域)に遠征してその全域を征服し、ローマの属州とした戦争。この戦争によってカエサルはローマ市民から絶大な支持を集めた。
ガリア遠征の影響
カエサルがガリア遠征で大成功したことは、ローマの元老院派にとって脅威でした。共和政を維持したい元老院にとって、カエサルのように独裁者の資質を持った人間は邪魔なのです。そこで元老院派はポンペイウスと結託してカエサル軍との内戦を行いますが、カエサル軍が勝利しました。
カエサルが終身独裁官に
カエサル暗殺
終身独裁官に就任したカエサルはローマ社会安定に努めました。民衆からの人気も抜群です。元老院の権威も低下させ、ますますカエサルは王様のような働きを見せていきます。
しかし、共和政に執着する元老院はカエサルの活躍が不愉快でたまりません。前44年、元老院のブルートゥスらによってカエサルは暗殺されてしまい、ローマはまた混乱に陥りました。
第2回三頭政治
成立の背景
オクタウィアヌス

オクタウィアヌス
カエサルの妹の孫にあたる人物。カエサルの暗殺後はその後継者として活躍した。後にアクティウムの海戦でアントニウスを倒し、前27年に初代ローマ皇帝となる。
カエサルの後継者
カエサルはオクタウィアヌスの有能さを評価しており、遺言でオクタウィアヌスを後継者に指名していました。カエサルの暗殺によって、オクタウィアヌスはカエサルが築いた莫大な財産と有力な兵士たちの支持を獲得します。
アントニウス

アントニウス
カエサルに仕えていた軍人。カエサルの葬儀で民衆を煽って共和派を追放するなど、反元老院・反共和政の態度をとった。第2回三頭政治成立後にオクタウィアヌスと対立し、アクティウムの海戦で敗れた後、自殺した。
レピドゥス

レピドゥス
ローマの名門出身の政治家。カエサルが独裁官を務めたときには、「騎兵長官(ナンバー2)」としてカエサルを補佐した。第2回三頭政治成立後、オクタウィアヌスによって失脚させられた。
カエサル暗殺者を攻撃
第2回三頭政治のメンバーの共通点として、カエサルに近しい人物という点が挙げられます。彼らはまず、カエサル暗殺に関わった元老院保守派の人物たちを攻撃しました。
アントニウスとオクタウィアヌスの対立

クレオパトラとの恋
アントニウスは、生前カエサルが果たせなかった小アジアのパルティアを征服することで、オクタウィアヌスを出し抜こうとしました。この遠征の援護射撃をエジプトに要請したアントニウスは、当時のエジプト女王クレオパトラと恋に落ちてしまいます。しかしこの遠征は失敗した上に、アントニウスはそのままエジプトに滞在してクレオパトラとの間に3人の子供を作りました。
アクティウムの海戦

アクティウムの海戦
前31年、オクタウィアヌスとアントニウス・クレオパトラ連合軍が戦い、オクタウィアヌスが勝利した戦い。プトレマイオス朝エジプトは滅亡してローマの属州となり、地中海が平定された。
終戦、帝政へ
終戦後もオクタウィアヌス軍に追い回されたアントニウスとクレオパトラはエジプトに帰った後、自殺しました。アクティウムの海戦におけるオクタウィアヌスの勝利をもって「内乱の1世紀」が収束しました。ローマ共和政はここで終了し、オクタウィアヌスが皇帝を務める帝政ローマへと移行しました。
古代ローマ
