ここまでの流れ
2世紀末までの200年間、ローマ帝国は「パクス・ロマーナ」という平和と繁栄の時代を迎えていました。しかし五賢帝時代の最後の皇帝、マルクス=アウレリウス=アントニウスの頃から帝国は財政不振に陥っていました。
カラカラ帝

カラカラ帝
3世紀前半のローマ皇帝。「アントニヌス勅令」を発布し、帝国内の全自由民に市民権を与えた。残虐な統治から”ローマ史上最悪の暴君”とも評されている。
ローマ帝国の財政不振
五賢帝時代の最後の皇帝、マルクス=アウレリウス=アントニウスの頃からローマ帝国は財政不振に陥っていました。そこでカラカラ帝は税収を増やすために「アントニヌス勅令」を発布しました。
アントニヌス勅令で税収拡大
アントニヌス勅令
212年にカラカラ帝によって発布された勅令。ローマ帝国内の全自由民にローマ市民権を与えることで、課税対象を拡大しようとした。しかし重税によって地方都市は経済的に衰退しはじめ、帝国としてのまとまりが無くなっていった。
豚さん
異民族の侵入
異民族と戦う皇帝
当時、ゲルマン人やササン朝といった異民族がローマ帝国の国境に頻繁に侵入して来ていました。ローマ皇帝は先頭に立って異民族と戦いますが、ミスをしたり捕虜として捕まったりすると、その度に新しく皇帝を決めなければなりませんでした。
兵士の地位向上
異民族の侵入を追い出すには国境を守る軍隊が必要です。3世紀の皇帝は国防に尽力する兵士を優遇する政策をとり、兵士の地位が向上していきました。そして兵士の中から有力者が次々に皇帝に即位する時代が始まりました。
軍人皇帝時代の到来

軍人皇帝時代
235年から284年、ローマ帝国で軍人皇帝が乱立した時代。50年間で18人も皇帝が入れ替わった。「3世紀の危機」とはこの期間を指す。
混乱するローマ
軍人皇帝時代の18人の皇帝のうち暗殺されたのは16人にのぼります。それだけ皇帝が入れ替わるので皇帝の地位は失墜し、まとまりを失ったローマ帝国は分裂の危機に陥りました。しかし、そんな「3世紀の危機」も、284年に即位したディオクレティアヌス帝によって収束を向かえます。