ローマ=カトリック教会の全盛期をわかりやすく解説

10世紀頃から、ローマ=カトリック教会は西ヨーロッパ世界内で権威を高めていきました。そもそもローマ=カトリック教会が何のことか分からないという人は、こちらの解説を読んでみてください。

閉ざされた封建社会

存在感を増していく教会

中世西ヨーロッパ世界は封建社会です。封建社会の基盤は「荘園」という土地にあります。農奴と呼ばれる貧しい農民たちは自分が生まれた荘園から出ることができず、一生を荘園の中で終えます。そんな閉鎖的な荘園において、唯一情報を発信したのが教会でした。やがて人々は教会の言うことを鵜吞みにしてしまい、自然と教会の権威が高まっていったのです。

POINT
中世西ヨーロッパでは、封建社会の中でカトリック教会が権威を高め、政治的な力を持つようになりました。

腐敗する教会

教皇(ローマ=カトリック教会のトップ)の下には、大司教、司教、司祭といった序列があります。大司教や司教といった役職だと、かなりいい暮らしもできます。その甘い蜜を狙って、不当な手段やお金の力を使って教会に介入しようとしたりする者が増え、教会は腐敗していきました。

叙任権闘争

11世紀に神聖ローマ皇帝とローマ教皇の間に起こった「叙任権闘争」について解説します。

神聖ローマ皇帝の教会介入

西ヨーロッパ世界でどんどん権力を拡大した教会。そこに介入したのが神聖ローマ皇帝です。

神聖ローマ皇帝の教会介入戦略
  1. 国内各地に点在する教会を買収する。
  2. 聖職者を任命することで、その人物に恩を売っておく。
  3. 聖職者は恩のある皇帝の言うことを聞くので、国内統治が安定する。
「聖職者」というのは、キリスト教に関する仕事をする人のことです。この聖職者を任命する権利のことを「叙任権」といいます。
POINT
皇帝や国王といった世俗権力が教会に介入するようになり、聖職売買(聖職者の地位が金銭で売買されること)などによって教会の腐敗が進みました。

教皇 vs 皇帝

皇帝に介入され腐敗してしまったローマ=カトリック教会を変えようと、ローマ教皇グレゴリウス7世が立ち上がりました。

グレゴリウス7世の改革
  • 聖職売買を禁止
  • 聖職者の結婚禁止
  • 叙任権を教会に移す
ポイントは3つ目の、叙任権が教会にあると主張したことです。神聖ローマ皇帝からすれば、国内の統治を安定させるためにも叙任権を奪われるわけにはいきません。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、グレゴリウス7世に真っ向から対立しました。
図

叙任権闘争

カノッサの屈辱

教皇と皇帝の間で始まった叙任権闘争。ここで教皇グレゴリウス7世がある「必殺技」を使います。

必殺「破門」

その必殺技が「破門」です。破門とは「お前はキリスト教徒ではないよ」と教皇が言い渡すことです。グレゴリウス7世はハインリヒ4世に波紋を言い渡しました。国内の諸侯たちは「破門された皇帝になんて従いたくない」とハインリヒ4世を見放してしまいます。

MEMO
当時の西ヨーロッパは皆キリスト教徒ですから、破門は社会からの追放を意味しました

カノッサの屈辱

そして1077年、ハインリヒ4世は雪が降りしきる中で裸足で3日間もグレゴリウス7世が住むカノッサ城の門前で謝罪し続けました。この事件を「カノッサの屈辱」といいます。ここに「ローマ教皇>神聖ローマ皇帝」の図式が明確になりました。

カノッサの屈辱

カノッサの屈辱で、教皇優位が決定的に

叙任権闘争の終結

カノッサの屈辱の後も叙任権闘争は続きましたが、1122年のヴォルムス協約によって叙任権が教皇にあることが定められ、叙任権闘争は集結しました。

POINT
以降、教会の権威が西ヨーロッパ全体に及ぶようになり、13世紀の教皇インノケンティウス3世のときにその権力は絶頂に達しました。

カノッサの屈辱の後、皇帝の報復に備えてホーエンザルツブルグ城が建設され、教皇の隠れ家となりました。
世界遺産
城

ホーエンザルツブルグ城

オーストリアのザルツブルグを見下ろす丘に建設された城。9世紀以降、ザルツブルグは中部ヨーロッパの中心として栄えました。

カトリック全盛期 まとめ

まとめ
  • 中世西ヨーロッパ封建社会では、ローマ=カトリック教会が権威を高めて政治的な力を持った。
  • 神聖ローマ皇帝が教会に介入するようになり、聖職売買(聖職者の地位が金銭で売買されること)などで教会の腐敗が進んだ。
  • 聖職叙任権を巡って、教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が争った。
  • グレゴリウス7世の破門に対してハインリヒ4世は謝罪(カノッサの屈辱)し、ヴォルムス協約で叙任権闘争が決着した。
  • 教会の権威が西ヨーロッパ世界全体に及ぶようになり、教皇の権力は13世紀のインノケンティウス3世のときに絶頂に達した。