カノッサの屈辱

中世ヨーロッパ展開期の年表
10世紀ごろ~
荘園を基盤とした、主従関係による社会が成立。中世西ヨーロッパ世界の骨組みとなる。
1077年
神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世がローマ教皇グレゴリウス7世に謝罪。当時の教皇権の強さを象徴する事件。
1096~1270年
イスラーム勢力から聖地イェルサレムを奪還すべく、教皇主導で軍を派遣するも失敗し、教皇の地位が揺らぎ始める。東方との交流が活発になり、西ヨーロッパ世界の様変わりのきっかけとなる。
11~12世紀ごろ
余剰生産物の交換が活発になり、それまでの現物経済に代わって貨幣経済が浸透する。また十字軍の影響で遠隔地貿易が発達し、商業が発展する。
11~12世紀ごろ
十字軍をきっかけに商業活動が活発になったことで、各地の都市が力をつけて自治都市となっていく。
11~12世紀ごろ
商業と都市が発展したことで、封建社会が衰退し始める。かつての支配階級であった騎士や諸侯は没落し、国王の権力が強くなっていく。
14世紀ごろ~
十字軍失敗を機に教皇権は衰退する。アナーニ事件ではフランス国王にローマ教皇が捕らえられる。堕落する教皇・教会を立て直すべくキリスト教内部からの改革運動が活発になり、後の宗教改革へと繋がる。

神聖ローマ皇帝の教会介入

国内統治のために教会を利用

中世ヨーロッパにおいて権力を持ったローマ=カトリック教会に介入したのが神聖ローマ皇帝です。その流れをまとめてみました。
  1. 皇帝が国内各地に点在する教会を買収する。
  2. 聖職者を任命し、その人物に恩を売っておく。
  3. 聖職者が皇帝の言うことを聞くので、国内統治が安定する。

「聖職者」というのは、キリスト教に関する仕事をする人のことです。この聖職者を任命する権利のことを「叙任権」といいます。
教会の買収とかはいけないことでしょうけど、理にはかなってますね…

POINT
皇帝や国王といった世俗権力が教会に介入するようになり、聖職売買(聖職者の地位が金銭で売買されること)などによって教会の腐敗が進みました。

叙任権闘争

教皇 vs 皇帝

皇帝に介入され腐敗してしまったローマ=カトリック教会を変えようと、教皇グレゴリウス7世が立ち上がりました。グレゴリウス7世は聖職売買と聖職者の結婚を禁じました。さらに「叙任権は教会のみにある」とも宣言しました。
神聖ローマ皇帝からすれば、叙任権を奪われちゃまずいんじゃないですか?

とってもまずいです。国内の基盤が弱まってしまいますからね。叙任権を巡って、ローマ教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が真っ向から対立します。
図

カノッサの屈辱

必殺「破門」

神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が中々折れないので、教皇グレゴリウス7世はハインリヒ4世に「破門」を言い渡しました。破門とは、「お前はキリスト教徒ではないよ」と、言い渡すことです。当時のヨーロッパは皇帝も国民も皆キリスト教徒ですから、破門は社会からの追放を意味します
これは強烈な一撃ですね…ローマ教皇ならではの必殺技だ。

諸侯たちも「破門された皇帝になんて従いたくない」とハインリヒ4世を見放してしまいます。そして1077年、ハインリヒ4世は雪が降りしきる中で裸足で3日間もグレゴリウス7世が住むカノッサ城の門の前で謝罪し続けました(カノッサの屈辱)。その結果なんとか破門を解いてもらいましたが、ここに「ローマ教皇>神聖ローマ皇帝」の図式が明確になりました。

ハインリヒ4世

生意気言ってすいませんでした…。破門を解いてください、この通りです…
まあええわ、許したる。これからはあんまり調子に乗ったらあかんで。

グレゴリウス7世


叙任権闘争の終結

カノッサの屈辱の後、皇帝の報復に備えてホーエンザルツブルグ城が建設され、教皇の隠れ家となりました。
世界遺産
城

ホーエンザルツブルグ城

オーストリアのザルツブルグを見下ろす丘に建設された城。9世紀以降、ザルツブルグは中部ヨーロッパの中心として栄えました。

カノッサの屈辱の後も叙任権闘争は続きましたが、1122年のヴォルムス協約によって叙任権が教皇にあることが定められ、叙任権闘争は集結しました。
教皇サイドの勝ちってことですね。

これ以降、教会の権威が西ヨーロッパ全体に及ぶようになり、13世紀のインノケンティウス3世のときに教皇の権力は絶頂に達しました。