閉ざされた封建社会
存在感を増していく教会
中世西ヨーロッパ世界は封建社会です。封建社会の基盤は「荘園」という土地にあります。農奴と呼ばれる貧しい農民たちは自分が生まれた荘園から出ることができず、一生を荘園の中で終えます。そんな閉鎖的な荘園において、唯一情報を発信したのが教会でした。やがて人々は教会の言うことを鵜吞みにしてしまい、自然と教会の権威が高まっていったのです。
腐敗する教会
教皇(ローマ=カトリック教会のトップ)の下には、大司教、司教、司祭といった序列があります。大司教や司教といった役職だと、かなりいい暮らしもできます。その甘い蜜を狙って、不当な手段やお金の力を使って教会に介入しようとしたりする者が増え、教会は腐敗していきました。
叙任権闘争
神聖ローマ皇帝の教会介入
西ヨーロッパ世界でどんどん権力を拡大した教会。そこに介入したのが神聖ローマ皇帝です。
- 国内各地に点在する教会を買収する。
- 聖職者を任命することで、その人物に恩を売っておく。
- 聖職者は恩のある皇帝の言うことを聞くので、国内統治が安定する。
教皇 vs 皇帝
皇帝に介入され腐敗してしまったローマ=カトリック教会を変えようと、ローマ教皇グレゴリウス7世が立ち上がりました。
- 聖職売買を禁止
- 聖職者の結婚禁止
- 叙任権を教会に移す

叙任権闘争
カノッサの屈辱
必殺「破門」
その必殺技が「破門」です。破門とは「お前はキリスト教徒ではないよ」と教皇が言い渡すことです。グレゴリウス7世はハインリヒ4世に波紋を言い渡しました。国内の諸侯たちは「破門された皇帝になんて従いたくない」とハインリヒ4世を見放してしまいます。
カノッサの屈辱
そして1077年、ハインリヒ4世は雪が降りしきる中で裸足で3日間もグレゴリウス7世が住むカノッサ城の門前で謝罪し続けました。この事件を「カノッサの屈辱」といいます。ここに「ローマ教皇>神聖ローマ皇帝」の図式が明確になりました。

カノッサの屈辱で、教皇優位が決定的に
叙任権闘争の終結
カノッサの屈辱の後も叙任権闘争は続きましたが、1122年のヴォルムス協約によって叙任権が教皇にあることが定められ、叙任権闘争は集結しました。

ホーエンザルツブルグ城
オーストリアのザルツブルグを見下ろす丘に建設された城。9世紀以降、ザルツブルグは中部ヨーロッパの中心として栄えました。
カトリック全盛期 まとめ
- 中世西ヨーロッパ封建社会では、ローマ=カトリック教会が権威を高めて政治的な力を持った。
- 神聖ローマ皇帝が教会に介入するようになり、聖職売買(聖職者の地位が金銭で売買されること)などで教会の腐敗が進んだ。
- 聖職叙任権を巡って、教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が争った。
- グレゴリウス7世の破門に対してハインリヒ4世は謝罪(カノッサの屈辱)し、ヴォルムス協約で叙任権闘争が決着した。
- 教会の権威が西ヨーロッパ世界全体に及ぶようになり、教皇の権力は13世紀のインノケンティウス3世のときに絶頂に達した。