アテネ
古代ギリシアを代表するポリス。ギリシア人の一派、イオニア人により形成された。商業や芸術の中心地として発展し、デロス同盟では盟主を務めた。貴族政から改革を重ね、民主政へ移行した。
アテネ民主政の流れ
前8世紀~
貴族政治
有力者による政治
前621年
ドラコン
慣習法を成文化
前594年
ソロン
財産政治
前561年
ペイシストラトス
僭主政治
前508年
クレイステネス
陶片追放
前443~前429年
ペリクレス
アテネ最盛期
目次
貴族政治
貴族政治:紀元前8世紀ごろから始まった、ポリス内の少数の有力者による政治。アテネの出発点とも言える。
アテネをはじめ古代ギリシア人は交易で生計をたてています。すると、ビジネスの才能がある人達はどんどん儲けを増やしてお金持ちになっていきます。そして彼らは儲けたお金で武器や防具を買い、アテネを守るための兵士(重装歩兵)になるのです。 豚さん
自腹で武器を買って国を守るなんて偉い…

重装歩兵は、密集して敵に正面衝突していきます。この陣形のことをファランクスと言います。兵士が一丸となって攻撃するチームプレーです。この戦法はギリシアの各ポリスも使用し、オリエントにおいてギリシアが軍事的優位を確立する要因になりました。
命がけで国を守ってるんですから、一般市民の主張は頷けますね。
ドラコンの改革 – 慣習法の成文化(前 621年頃)
ドラコン:立法家。慣習法を初めて成文化したことによって、貴族の法独占を防ぎ、平民の権利を守った。
当時のアテネには、はっきりとした法律がありませんでした。誰が決めたのかは知らないが、なんとなく皆が昔から守ってきたルールに従っていたのです。豚さん
暗黙の了解ってやつですね。
ソロン – 財産政治(前 594年)
ソロン:4つの政治的階級に市民を振り分ける財産政治を行った。アテネ民主政の基礎を築いたとして評価されている。
続いてソロンです。彼が実施した政策はこちら。
財産政治の実施
財産に応じて市民を4つの階級にランク付けしました。そして階級に応じて参政権や兵役の義務を定めました。「Aランクの人は将軍になっていいよ。Dランクの人は農業をしてね。」といった感じです。
負債の帳消し、債務奴隷の解放と禁止
さらに、市民が負っている借金を帳消しにしました。債務奴隷というのは借金が膨れ上がりすぎて返せなくなり、奴隷になってしまった人のことです。そんな債務奴隷も無しにして、解放してあげました。
貧困層の市民からすればなんとありがたいことでしょう。
ペイシストラトスの改革 – 僭主政治(前 561年)
ペイシストラトス:僭主政治を行い、貴族の土地を平民に分配した。
ペイシストラトスは僭主政治を行いました。僭主とは独裁者という意味です。ドラコンもソロンも市民に寄り添う改革をしてきたのに、いきなり独裁者ですか?
豚さん
ペイシストラトスは平民の支持を得て、非合法的に独裁者になりました。決してジャイアンみたいな人間ではないんです。
MEMO
ソロンはペイシストラトスの友人でした。ソロンは僭主政治に最後まで抵抗しましたが、結局平民はペイシストラトスを支持しました。クレイステネスの改革 – 陶片追放(前 508年)
クレイステネス:陶片追放を行い、僭主の出現を予防した。またデーモスを設置した。
陶片追放(オストラキスモス)
陶片(陶器の破片)に、次に独裁者になりそうな人物の名前を市民に書かせます。そして同じ人物に6000票集まればその人物を追放するのです。これによって僭主(独裁者)の出現を防ぎました。

デーモスの設置
デーモスとは我々の感覚で言うところの「区」です。民会で都市部の住民だけに利益があるような決議がされないように、市民が住んでいる地域ごとに領土を分割して、行政の単位としました。
ペリクレスによる民主政の完成(前 443~429年)
そして将軍ペレクレスの時代に民主政が完成し、最盛期を迎えました。
アテネ民主政治の特徴
民会
国政の最高議決機関です。18歳以上の男子のであれば自由に参加できました。ペルシア戦争で戦ったのは男子だけだったので、女子は参加できませんでした。
直接民主政
有権者による多数決で国政を決定する、直接民主政をとっていました。
奴隷制度
民主政と言っても、あくまで奴隷制度の上に成り立っていました。アテネ市民が民会で政治に熱くなっている間、奴隷はあくせく働いていました。もちろん奴隷に参政権はありません。