アッシリア帝国とは?わかりやすく解説【古代オリエント】

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アッシリア帝国とは

前7世紀前半に史上初めて全オリエントを統一した帝国。都はニネヴェに置かれた。アッシュル・バニパル王のときに最大領土を形成したが、厳しい圧政により隷属民族からの反発を受け、100年も持たずに滅亡。

帝国の成立

ティグラト・ピレセル3世の時代

前8世紀後半、ティグラト・ピレセル3世が王の時代にアッシリアはシリア・パレスチナ方面に遠征を行いアラム人を征服しました。

アラム人といえば内陸貿易で栄えた民族です。おいしい地域を征服しましたね。

サルゴン2世の時代

続いてサルゴン2世はパレスチナに遠征し、イスラエル王国(ヘブライ王国分裂後の北側)を征服し、メソポタミア南部のバビロンも占領しました。

サルゴン2世により大帝国の基礎が完成しました。

アッシュル=バニパルの時代

アッシュル・バニパルはエジプトも征服し、前663年に全オリエントの統一に成功しました。アッシュル・バニパルの時代にアッシリアの領土が最大になりました。
それにしてもどうしてアッシリアはこんなに強かったんですか?

アッシリアは鉄製の武器を使用していました。ヒッタイトから受け継いだと考えられています。

統治の工夫/属州と総督

図
晴れて大帝国を築いたアッシリアですが、広大な領土を治めるのには工夫が必要です。そこでアッシュル・バニパルは征服地を属州に分割しました。属州は、日本の都道府県のようなものだと考えてみてください。そして各属州には総督を配置しました。属州が都道府県なら、総督は県知事と考えられそうです。こうして、王の監視が各地に行き届くような管理体制を整えました。

圧政の結果滅亡へ

アッシリアは征服した民族に重税や強制移動を課していました。アッシュル・バニパルの死後、隷属民の反発を受けて国内は内戦状態になりました。そして前612年、オリエント統一から100年もたたないうちにアッシリア帝国は崩壊し4つの国に分裂してしまいます。