大航海時代をわかりやすく解説

ざっくり要点
  • ヨーロッパ人がどんどん船で海外進出して、新大陸を見つけたりした時代のことだよ
  • ポルトガルがインドまで到達したり、スペインがアメリカを見つけたりしたよ
  • ヨーロッパとほかの大陸同士が繋がって、世界が一つになっていったよ

大航海時代とは? ひとことで

大航海時代とは、ヨーロッパ人がアジアやアメリカ大陸への航海に乗り出した時代のことです。
15~17世紀に、主にスペインとポルトガルによって行われました。

大航海時代が始まった理由

なぜ大航海時代が始まったのでしょうか、4つの背景を紹介します。
大航海時代が始まった理由
  1. アジアで採れる香辛料が欲しい
  2. アジアへのあこがれ
  3. 技術の進歩で遠洋航海ができるようになった
  4. キリスト教の布教熱が高まった

アジアで採れる香辛料が欲しい

当時のヨーロッパでは肉食が普及し、コショウなどの香辛料の需要が高まっていました。
ただ香辛料の原料となる植物はヨーロッパでは育たないので、アジアからの輸入しか手段がありませんでした。

MEMO
「肉が腐るのを防ぐため」という説は最近は否定されつつあります。単純に味付けとして香辛料を求めたのでしょう。

オスマン帝国の妨害

ヨーロッパ-アジア間の香辛料貿易は、ヴェネツィアなどの北イタリア都市の商人が担当していました。しかし15世紀になると、イタリア商人の交易ルート上にオスマン帝国が進出してしまいました。ヨーロッパを敵対視するオスマン帝国はイタリア商人の東方貿易を妨害し、その結果ヨーロッパに入ってくる香辛料は減っていきました。

直接アジアに乗り込む

この流れを受けて、ヨーロッパでは「陸路はオスマン帝国が邪魔だし、海路でアジアまで行って香辛料とってこようぜ」という動きがおこりました。


アジアへのあこがれ

13世紀には、イタリア商人のマルコ=ポーロが元を訪れ、著書『東方見聞録』を記しました。その中では日本を含むアジア世界が紹介され、ヨーロッパ人たちはアジアへのあこがれを高めていました。

技術的に行けるようになった

「アジアに行きたい」という気持ちだけでは足りません。船を出して大海原へ出る以上は、相応の技術が必要です。この時期のヨーロッパでは航海技術の進歩も見られました。

航海技術の向上
  • 羅針盤の改良
  • 造船技術の向上

羅針盤(方位磁石のこと)が改良されたり、頑丈な船を作れるようになったりしたことで、遠くの海に出ることが技術的に可能になってきたのです。

キリスト教を広めたい

15世紀末には国土回復運動(レコンキスタ)が完成し、イベリア半島からイスラーム勢力を追い出しました。スペインとポルトガルでは、国土回復運動の勢いそのままにキリスト教を海外にも広めたい意欲が高まっていました。

MEMO
領土の大きさでスペインに劣るポルトガルはこの後先陣を切って海へ乗り出し、大航海時代の先駆者となります。

ポルトガルのインド航路開拓

アジアに行きたい気持ちと、行くことができる技術。その両方が合わさり、いよいよ大航海時代の幕開けです。

「航海王子」エンリケ

大航海時代の先陣を切ったのが「航海王子」として名高い、ポルトガル王家のエンリケです。彼自身は船に乗りませんでしたが(船酔いが酷かったそうです)、パトロンとなって船乗りたちの挑戦を金銭面で援助しました。以降ポルトガルは国家ぐるみで航海事業に取り組み、アフリカ西岸を通ってインドへ到達する「東廻り航路」の開拓に挑戦していきました。

東廻り構想

東廻り航路

こぼれ話
大航海時代の幕を開けたエンリケは、現在もポルトガル国民にとって誇り高き存在です。『発見のモニュメント』という大航海時代を記念した記念碑では、先頭に位置付けられています。
発見のモニュメント

バルトロメウ=ディアス

1488年には、バルトロメウ=ディアスがアフリカ南端の喜望峰に到達しました。これで、ポルトガル-インド間の中間地点までの航路を拓くことに成功しました。

喜望峰

喜望峰

ヴァスコ=ダ=ガマ

それから10年後の1498年、ヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに到達し、インド航路開拓に成功しました。念願だった香辛料貿易によってポルトガルは栄え、首都のリスボンは世界商業の中心都市になりました。

ディアス・ガマ航路

ディアスとガマの航路

世界遺産
ジェロニモス修道院

ジェロニモス修道院

ヴァスコ=ダ=ガマによるインド航路開拓とエンリケの偉業を称え、首都リスボンに建設された修道院。建築資金はガマが持ち帰った香辛料の売却利益によって賄われた。

アメリカ大陸の発見

インド航路を開拓する過程で、「偶然」アメリカ大陸もヨーロッパに発見されました。

コロンブス

15世紀末、イタリアの航海士コロンブスはインド航路開拓の構想を練っていました。ただその構想は、それまでの常識に反する画期的なものでした。

地球球体説

コロンブスは「地球は丸いはずだ、だからわざわざアフリカを回らなくても、西に進んでいけばインドに到達できる。」と計画していました。知人の天文学者トスカネリが提唱していた「地球球体説」をベースにした西廻り構想です。

スペインの承認をゲット

コロンブスはこの「西廻り構想」を実行に移すため、スペイン王室に援助を依頼しました。アジア進出においてスペインはポルトガルに先を越されており、スペイン女王イサベルはコロンブス援助にGOサインを出しました。

MEMO
コロンブスはポルトガル王室にもこの計画を売り込んでいましたが、ポルトガルは既に東廻り航路を推進していたので断られました。

インド到着と思いきや…

スペインの援助を受け、晴れてコロンブスは西廻りでのインド航路開拓に出発しました。大西洋をひたすら西に突き進み、約2か月の航海の末に、コロンブスは西インド諸島にあるサンサルバドル島に到着しました。その後アメリカ大陸にも上陸しましたが、コロンブスはこれらの地が新大陸であることに気が付かず、生涯インドだと思い込んでいました

コロンブス航路

コロンブスの航路

MEMO
アメリカ大陸付近にあるのに「西インド諸島」というちぐはぐなネーミングも、コロンブスの勘違いが原因です。

アメリゴ=ヴェスプッチ

コロンブスが西廻り航路を開拓したことにより、スペインは国家ぐるみで西廻り航路のさらなる開拓をプッシュしました。イタリア出身のアメリゴ=ヴェスプッチは、スペインの要請を受けてコロンブス同様に西を目指し、陸地に到達後はひたすら沿岸部を南下していきました。アジア最南端は北緯1度、アフリカ最南端が南緯34度です。しかし南緯50度まで下ってもまだ陸地が続いており、この大陸がアジアでもアフリカでもない「新大陸」であることに気づいたのです。

 アメリゴルート

ヴェスプッチの航路

「アメリゴ」は「アメリカ」の由来です。

マゼランの世界一周

1522年には、マゼランという人物が初めて世界一周を達成しました。

フィリピンで無念の死

スペイン王の任命を受けたマゼランは、まずは西廻りで南アメリカ大陸へ向かい、そこから太平洋を横切ってアジアを目指しました。約3か月も太平洋を航海して辿り着いた地は、「フィリピン」と名付けられました。しかし現地の王と争い、マゼランはフィリピンで戦死してしまいました。

部下が世界一周を達成

マゼランの死後、彼の意思を受け継いだ部下たちがフィリピンからスペインまでの航海に成功し、世界一周を達成しました。

過酷な船旅で犠牲者も多く、出発時約270人の乗組員のうち世界周航を達成できたのは18人だけでした。
マゼラン航路

マゼランの航路

大航海時代の影響

大航海時代の到来は、世界はどのような変化をもたらしたのでしょうか。

価格革命

まぜヨーロッパの経済活動が地球規模に拡大したことで、アメリカやアジアから大量にが流入しました。それはヨーロッパ社会に大幅なインフレ(貨幣(銀)の価値が下がり、物価が上がること。)をもたらしました。この現象を価格革命と言います。

商業革命

また遠隔地貿易によって世界中の色んな商品が取引され、ヨーロッパ人の生活が大きく変わりました。これを商業革命と言います。ジャガイモ・トマト・トウモロコシ・タバコなど、現代に通じる農作物はこの時代に広く普及したのです。

世界の一体化

大航海時代以前の歴史は、異なる文化圏の集合体に過ぎませんでした。アジア・ヨーロッパ・アフリカ・アメリカなどで、それぞれの歴史が独立して成立していたのです。
それが大航海時代をきっかけに世界中が貿易によって繋がり、世界が一体化したのです。そういう意味では、本当の世界史とは16世紀に成立したと言えるのかもしれません。

大航海時代 まとめ

まとめ
  • 大航海時代とは、15~17世紀にヨーロッパ人がアジアやアメリカ大陸への航海に乗り出した時代のこと。主にスペインとポルトガルが先導した。
  • ヨーロッパ人のアジアへの興味や航海技術の向上により、大航海時代が始まった。
  • ポルトガルは西廻り航路を開拓した。バルトロメウ・ディアスはアフリカ南端の喜望峰へ到達し、バスコ=ダ=ガマはインドのカリカットへ到達した。
  • 東廻り航路でスペインを出発したコロンブスは、偶然アメリカ大陸を発見したが、生涯そこをインドだと思い込んでいた。
  • 大航海時代によって、ヨーロッパを軸にした「世界の一体化」が実現した。