マムルーク朝/イル=ハン国/奴隷王朝/ナスル朝【13世紀のイスラーム世界】

イスラーム世界の年表
7世紀
メッカに生まれた商人ムハンマドがイスラーム教を創始
632~661年
ムハンマドの死後、イスラーム世界をカリフが統率した時代
661~750年
イスラーム史上最大の王朝。アラブ人優遇政策により国民から反発を受ける
750~9世紀初頭
バグダードに遷都。ハールーン=アッラシードのとき全盛期
10世紀
シーア派王朝のファーティマ朝とブワイフ朝がアッバース朝を圧迫
11世紀
トルコ人王朝のセルジューク朝が登場。建国者トゥグリル=ベクがスルタンの称号を授かる。
12世紀
エジプトでサラディンがアイユーブ朝を建設。十字軍からイェルサレムを奪還する。
13世紀
モンゴル民族の襲来 今ココ
フラグ率いるモンゴル軍がアッバース朝を滅ぼし、イル=ハン国を建設。ガザン=ハンのときイスラーム教に改宗。

ここまでの流れ

セルジューク朝の衰退後、12世紀のイスラーム世界の中心はエジプトのアイユーブ朝に移りました。ヨーロッパの十字軍とも戦い、聖地イェルサレムを奪還することに成功しました。

13世紀といえば?

世界史における13世紀は、どんな時代か想像つきますか?
13世紀ですか?ルネサンスはもうちょっと後ですよね…思いつきません。

13世紀はモンゴルの時代です。こちらの地図を見てください。赤線で囲んだところが全てモンゴル帝国です。
地図
めちゃくちゃでかい!!モンゴルにこんな黄金の時代があったんですね…

ただあまりにも領土が大きすぎるので、帝国内の各地方をチンギス=ハンの子孫たちが治める形をとっていました。その中のイラン・イラク方面担当がイル=ハン国(1258~1353)という国です。チンギス=ハンの孫にあたるフラグという人物がアッバース朝を滅ぼした後、イル=ハン国を建国しました。同じく13世紀のイスラーム世界の地図を見てみましょう。
地図
これでもかなりイル=ハン国の存在感がありますね。

POINT
アッバース朝の滅亡と同時に、カリフ制度も消滅しました。

ガザン=ハンのときにイスラーム化

でもイル=ハン国はモンゴル系の国なので、イスラーム教とは関係なくないですか?

いい着眼点ですね。その通りで、イル=ハン国はもともとイスラーム国家ではありませんでした。7代目のガザン=ハンという人物がイスラーム教に改宗し、イル=ハン国もイスラーム世界の仲間入りを果たしました。イル=ハン国が征服した住民たちはイスラーム教徒ですから、イスラーム教に改宗したほうが国をうまくまとめられるという判断です。
POINT
ガザン=ハンはイスラーム式の税制を導入してイスラーム文化も保護したので、イラン=イスラーム文化が発展しました。

マムルーク朝

奴隷による王朝

エジプトに目を移せば、アイユーブ朝に代わってマムルーク朝(1250~1517)が成立しました。「マムルーク」とはイスラーム世界で重宝されていたトルコ人奴隷兵士のことです。
つまりマムルーク朝は奴隷がつくった王朝ってことですか?

そのとおりです。アイユーブ朝が第6回十字軍と戦った際、マムルークが主力となって十字軍を撃退しました。しかしアイユーブ朝のスルタンはマムルークを冷遇したので、怒ったマムルークが反乱を起こして新たに王朝を建てたのです
上層部に手柄を評価されないのは腹立たしいですもんね。

奴隷王朝

13世紀のイスラーム世界の地図を見てると、ひときわ変わった名前の王朝がありますね。

奴隷王朝(1206~1290)ですね。ゴール朝の奴隷出身のアイバクという人物が建国した王朝です。アイバクもマムルークだったので、13世紀はマムルークが活躍した時代とも言えますね

ナスル朝

最後はナスル朝(1232~1492)です。ナスル朝はイベリア半島における最後のイスラーム王朝です。
地図で見るとめちゃくちゃ小さい王朝ですね。

これまでイベリア半島におこったイスラーム王朝は、キリスト教の国々による国土回復運動(レコンキスタ)によりその領土を縮小してきました。そしてナスル朝の時代、ついにイベリア半島からイスラーム勢力は一掃されました。

アルハンブラ宮殿

ナスル朝はグラナダに都をおきました。ナスル朝がグラナダに残したアルハンブラ宮殿は、かつてのイベリア半島にイスラーム世界がたしかに存在したことを証明しています。
世界遺産
宮殿

アルハンブラ宮殿

13~14世紀、イベリア半島に建設された宮殿。中世のイスラーム文化とヨーロッパ文化が融合した建築である。


確認テスト

答え.フラグ
答え.ガザン=ハン
答え.マムルーク朝
答え.アイバク
答え.ナスル朝
答え.グラナダ