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ヒンドゥー教の始まり【古代インド】

ヒンドゥー教
バラモン教とインド先住民の民間信仰が融合して生まれた宗教。

はじまりはバラモン教

乗りに乗る仏教

前1500~1000年頃、アーリヤ人によって生まれたバラモン教が、マウリヤ朝の時代に危機を迎えます。前3世紀にマウリヤ朝の全盛期を築いたアショーカ王が、熱心に仏教を信仰し始めたのです。アショーカ王はせっせと磨崖碑や石柱碑を国内に作って仏教を広めようとするものですから、バラモン教の影が薄くなってしまったのです。

焦るバラモン

この状況にバラモン(バラモン教の最高権威者)は焦りました。そこでバラモン教にインド各地の先住民の信仰を取り入れることで民衆からの支持を集めようとしました。このようにして、アーリヤ人の宗教であるバラモン教と、先住民の信仰が融合して生まれた宗教がヒンドゥー教です。ヒンドゥー教は紀元前後から徐々に民衆に広まり、グプタ朝の頃にヒンドゥー教の大枠が成立しました。ですので、ヒンドゥー教が成立した瞬間というのは確定できません。

当然ヒンドゥー教には開祖もいません。

ブラフマー神・シヴァ神・ヴィシュヌ神の3トップ

ヒンドゥー教には、絶対的な唯一無二の神様はいません。つまり多神教です。バラモン教と民間信仰の融合という成立過程もあって、地域によって人気のある神様が違ったりします。その中でも人気だったのがブラフマー神シヴァ神ヴィシュヌ神です。
ブラフマー神は「宇宙と生物の創造主」、シヴァ神は「破壊と創造を司る神」、ヴィシュヌ神は「世界の保護者」といった位置づけです。

ブラフマー神

人

シヴァ神

像

ヴィシュヌ神

像

マヌ法典はバラモンびいき

マヌ法典
紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立した法典。4つのヴァルナがそれぞれ守るべき義務が記されており、バラモンが特権的身分であることも強調されている。
ヒンドゥー教には「聖書」や「コーラン」のように絶対的な聖典もありません。そのかわり、ヒンドゥー教徒は「マヌ法典」という法典に従って生活します。マヌ法典には各ヴァルナごとの権利や義務が記されています。ヒンドゥー教のもとになったのはバラモン教ですので、ヴァルナ制がヒンドゥー教でも重んじられています